2018年10月1日
朔太郎の庭見物(8) 桑原武夫
萩原さんは私たちをせき立てて、ある酒場へ入った。おでん屋のようなところだったかと思うが記憶がはっきりしない。田中克己、山岸外史の両君がしきりにしゃべっていたことを覚えている。萩原さんは私に京都案内の礼をいったあと、庭を見にわざわざ西下したのは本当に滑稽だったと笑った。私は「郷愁の詩人、与謝蕪村」をほめ、再刊をすすめたが、萩原さんは、国文学者に俳句の誤読を指摘されたことをひどく気にしていて、私が国文学者が何といおうと、あれは大へんオリジナルなものだから、とすすめたが、なかなか承知しなかった。大正期の文学者はみな学問というものに一種のコンプレックスをもっていた。そこから学者にたいしても一種のこだわりがあり、十分には打解けえぬところがあったように思う。萩.原さんにもそれはあり、私もどこかけぶたがられていたふしがあるように感じられる。