2018年10月5日
おっちょこ 二題(3) 藤原義江
ずい分昔のことだが、東京の独唱会で僕がボイト作曲のオペラ「メフィストフェレス」の中のファウストの詠唱『野からも山からも』を歌ったことがある。勿論、ゲーテのファウストが原作であって、僕の歌ったのはマルガレーテを恋しているファウストの甘い恋のささやき、といった曲である。しかるに、ある若い批評家が紙上で“かれの歌には何ら悪魔らしく迫るものがない”と書いた。
この恐るべき批評を見て、僕は吹き出してしまったが、いまは故人となった伊庭孝先生が電話をかけて来て、
“君、このつぎの独唱会に『セビラの理髪師』の伯爵の詠唱を歌いたまえ、きっとかれは君の歌が床屋らしくないって書くよ”と皮肉った。この批評などはただ一言ききさえすれば活字にまでして恥をかかなくてすんだのに。たしかに“聞くは一時の恥”ですむ。