2018年11月7日
切抜の整理(3) 尾崎一雄
一回だけ(つまり、読切り)のものは、さすがにそんなことはない。題名と筆者の名を見れば、ああ、あれかと直ぐ内容を思ひ出す。例へば、東京新聞、三十九年十一月二十八日夕刊に出た「古美術礼賛」の八。「日本的詩情に感動」(吉野秀雄)といふ長谷川等伯の屏風絵の礼賛である。等伯の「松林図屏風」は、吉野氏同様、私も博物館で見て、実際に嘆声を挙げてしまった。私が見たのは戦争前のことで、上林暁、青柳瑞穂、外村繁その他の人たちと一緒だったが側にゐた青柳君に向って「これは日本の心境小説だ」などと口走った覚えがある。吉野氏の賛辞に大賛成だったので切抜いておいた。
十二月二十八日づけ朝日新聞「世界没落」(島崎敏樹)といふのも出て来た。初めの方に「気になること、疑問になることは解決しなくてはいけない。それがほんとうの学問の態度だと私は思ふ」と島崎氏は書いてゐるが、その説には全面的に賛成である。ただ、私の場合は学者ではないから気分的な段階であって、著しく厳密さを歓くので比べものにはならない。しかし、前述の通り、整理したい気持そのものは急である。