2018年11月15日
当麻寺(4) 藤枝静男
翌日はいい天気であった。寝坊の私は、皆がすっかり着替えて境内の見物をすませたころ、ようやく顔をあらって広間の膳についた。一夜の露に打たれて、牡丹はすこし息をふきかえしたように見えた。縁先きに出ると、ふりそそぐ陽光のなかで、半ば傾いたまま開ききった花の芯はべトつくように濃密な芳香を庭じゅうにみなぎらせていた。むせるような若葉が、まわりからそれを包んでいた。
国宝曼陀羅は、それが後世の写しであったためか、私はさっぱり感心しなかった。かえって別の堂で見た篤のある珍しい四天王から、古拙な、強い印象を受けた。
天理に向かう沿線の風景は美しかった。大和平野特有の数多い貯水池、そのまわりを彩るゲンゲ畑、おだやかな山々、白壁の民家とそれをかこむ新緑、とくに白っぼく光線を反射する柿の若葉、高い木に懸かる藤、なにもかも春たけなわという感じであった。
前晩のことを思い出しながら、私はいつか、もう少し早い季節にもういちど当麻寺を訪れて泊ってみたいと思った。筍の出かかる頃がいいように思った。三重塔へのぼる小路の右側が竹薮になっていて、伸びた太い筍が数本つき出ていたが、まだ寒さの残る季節に行けばあれを食わせてくれるかも知れないなどと考えた。