2018年11月28日
日記から見た伊東静雄(8) 小高根二郎
日頃伊東は「教員は奴隷なり」と同僚・後輩に放言してはばからなかったようである。もと伊東の後輩であり今大毎記者をしている中西靖忠氏もその言葉を聞いている。これは伊東の晩年のことだが、教師になりたての日だって、すでにその感慨を抱いていたようである。新米教師八ケ月頃、伊東は改造文庫『チエホフ書簡集』に収録されている。ゴリキーの「アントン・チエホフ――追憶の断片」を読んで異常なほど共鳴をしたのである。
「ロシヤでは教師といふものに取り別け善い待遇を与へなければなりませんよ。それも出来るだけ早くしなければいけませんよ。国民に広く教育を授けなければ、ロシヤは、恰度焼きの悪い煉瓦で建てた家みたいに、崩れちまひますよ。教師といふものは、自分の天職を愛する芸術家でなくちやなりませんよ。所がロシヤでは、教師といふものは碌な教育を受けてゐない旅の鳥で、まるで流刑地へでも行くやうに、村から村へと子供を教へて行くのです。彼は飢ゑて、へし潰されて、その日の糧を失ふかといふ恐れでびくびくものでゐるのです。……」