2018年11月29日
日記から見た伊東静雄(9)最終回 小高根二郎
伊東はロシアの国籍を直ちに日本に置き換えたことは間違いない。「面白いことにはチエーホフはこよなく我々学校教師のみじめさに同情してゐる!私はひとりほほゑんで住中の教師によませたいと思ひました」と新友宮本新治氏に書き送っていることで、それと判る。その頃伊東は「乞食」とアダ名されていた。その「乞食」が古語「こつじき」に変化し、やがて「乞ッちゃん」に昇華した古狸時代には、前述の「教師は奴隷なり」が折にふれ口を衝いてでたとしても別に不思議ではない。
「悪婆のごとく、無頼漢のごとく。博突打のごとく……」は、つまり哀れな教師稼業に対するアイロニイであり、反抗であり、抗議であったと受けとれるのである。
伊東が死の三年前、五十年の生涯をしみじみ病床で回顧して、「強盗でもした方がよい。私など感傷の連続だったのですよ」と中西氏に述懐しているが、この言葉は先の事実を証明するようである。