2018年12月13日
栗の実 大木実
子供のころ、私の育った東京の下町には夜店がでた。にぎやかに明るく、電燈をつらね
て続く多くの店のはずれの方に、そこだけはなぜか別に、暗いアセチレンガスをつけて、
ひっそりとゆでた栗を売っている店があった。
小さなますに盛りあげたゆで栗を、粗末な紙袋にいれてくれる。ほうっと、温かく顔に
湯気がかかり、また、手のひらに伝わる袋の栗のほのかなぬくみに、子供こころにも秋を
感じたものだ。
青年のころ、秘かに慕ったひとがいた。
そのひとは私より年うえで、働きながらひとり暮しをしていた。思いつめた気持を私は
永いこと言えずにいた。
いつだったか夕刻になり、栗ごはんをごちそうしてくれることになった。堅い栗の殻を、
庖丁をじょうずに使いながらむいていく、そのひとの手もとを、私はせつなくみつめつづ
けた。
いまはもう、町に夜店もでない。ゆでた栗を商う、ひなびた店などももちろん見かける
こともない。
栗ごはんをごちそうしてくれたひとは、どうしていることか。思いつめた、
あのころのひたむきな気持を、私はとうに失くしてしまった。