2019年4月26日
通う(1) 佐藤東洋麿
よく行く家族食堂は「サイゼリア」である。二階のドアを開けると左がわの奥のほう、窓際の七卓が喫煙席でそのなかの三卓が二人用だ。
開店の十一時ぴったりに行って私はそこにすわる。静かなところで飲み食いするのは
私の昔からの趣味だ。それに持参している読みかけの本。とりあえず何か注文しなければ。
平日のランチタイムは一番から九番までどれもみな五百円である。鶏肉のオーブン焼きにご飯を添えるか、いや小型のフランスパンみたいなミニフィセルを添えるか。
たまにはチキンとトマトソースのドリアにしよう。皿の底にこびりついているような
ピラフをスプーンでがりがりと剥がしながら口に入れるのもまた楽しい。
ドリアに決めて注文を聞きに来たお馴染みの女性にそう言うと「ドリンクバーは?」、「あ、もちろん」。もう百十円かかるけれど、食後のエスプレッソと一服のおかげで私は八十年を生きながらえた。だがこの感慨は多くの人の賛同を得られない。決して議論はしない。黙して飲み、吸うだけである。ドリアが届くまえに立ちあがってドリンクバーのところに行き、サービスのスープをうつわに注ぐ。具は皆無でそばに置いてある黒胡椒の小瓶をとり、蓋を押さえながらさかさにしてつぶ胡椒を粉末にして味をつける。