2019年5月13日
通う(5) 佐藤東洋麿
古い雑誌の発行年を見ていのちが延びるような気がする。あるいはそんな気がするような古本屋にわざと飛びこむ。私も本郷の学生だったころ、神田の神保町によく通った。お茶の水の駅前からゆるい坂を下って行く。左がわには楽器店や主婦の友会館があり、交差点に出ると向こうがわに三省堂の大きな建物、そこから右手のほうが古本屋の並びである。フランス語の原書がある店はそう多くないのだが、ついつい途中で一冊十円などと記し
てある箱を見ると、近眼の目には読みづらいタイトルをけんめいに探す。例えばそのころ見つけた『セヴイニェ夫人手紙抄』は驚きだった。昭和十八年五月発行、定価四十銭、訳者が私の恩師・井上究一郎! 井上先生は近代の巨匠マルセル・プルーストの研究で学位を取ったが、その人が十七世紀の侯爵夫人の手紙を訳す。たしかに夫人の文章は後世に残るほどの名文ではあったけれど。