2019年5月14日
通う(6) 佐藤東洋麿
私のおぼろげな記憶と異なり、カフェでもイタリア料理店でもなく、酒場。そしてサイゼリアでなく、サイセリア。いま居る店とは何の関係もない。笑ってしまう。どちらにせよ、何の役にもたたない、だれにも褒めてもらえない、ひたすら自分だけの好奇心だ。いわば遊びだ。遊びはどれほど必死に遊んでも、実利は得られず、賞賛も得られない。ふりかえって見れば、私の足跡は遊びの連なりだった。せっかくフランス政府が給費をくれたのに、留学先のニース大学ではろくに勉強もせず、学生寮で古いバイクを買って十八キロ離れたモンテカルロのカジノに通った。一階の大衆室にあるルーレット、軍資金は僅かだから、賭けるのはほんのときたまである。メモ用の紙片(カルト・ドゥ・ルーレット)をもらって黙々とメモを取る。あるとき、黒が三十六回続いたので赤に賭けたら、サイコロは何とゼロにはいった。ゼロは赤でも黒でもない。赤と黒は確率二分の一とおもいがちだが、
三十六あるマス目のほかにゼロのマスがある。(当時の)五フランをかけて当たると十フランかえってくるのだが、店では三十七分の十八の確率だから二十四時間営業でやっていればかなりの利益になるわけだ。モナコ公国の財源となり国民の無税を実現させる。