2019年5月15日
通う(終) 佐藤東洋麿
私が魅せられたのはカジノだけではない。ひと気のない裏通りに並木があって、オレンジが実っていた。通りかかった老婆に、
「パルドン、マダム……あのオレンジ美味しそうだけど盗まれないんでしょうか」
と尋ねると、じろりと見かえして、
「だれが盗むもんかね、あんなものいつでも食べられるよ」
この挿話は数十年も昔のことであり、妙になまなましく脳裏にあるが、オレンジ並木のあとどこへ向かったのか、地図を見てどのあたりだったのか、さだかでない。いま訪れたら激変しているだろう。観光客は溢れ通りは混雑し静けさは失われているかもしれない。不変の光景はあの塀のない宮殿、近衛兵たちがきらびやかな軍服を身にまとい、定時になると膝を高くあげてお決まりの行進をしてはまた戻る、あの姿に違いない。
ドリアを食べ終えて、永井荷風も読みたい箇所は読み終え、エスプレッソも飲み終え、私のサイゼリア時間が終わる。小銭入れから六一0円を用意して立ち上がる。
明日もここに通うかな。