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2019年5月17日

天魔断想―わたしの考現学― 稲垣足穂

 「諸々の智者学匠の無道心にして驕慢の甚きが死すれば必ず天魔と申す鬼に成候。その形、頭は天狗、身は人にて左右の羽生たり、前後百才の事を悟りて通力あり、虚空を飛ぶこと隼の如し」
 平田篤胤が「古今妖魅考」のなかに書いているのは、大智の僧の化した大天狗のことである。中智の僧は中天狗に、小智の僧は小天狗になるが、別に「山伏の果は鵄になる」ということがあって、無智の僧は屎鳶に、あるいは普通の鵄にもなるのである。「チュウテン」(鼡の天婦羅)を好むというのは、あるいはこの部類であろうが、狐、鵄等が年を経て天狗界に籍を移すことも大いに有り得るのである。
 「鳥獣は色々に生を替え、また遂には消失せもし、何処かに身を隠し、消失せも為とそ。又、中に猛く生れ付たるは遂に天狗となりて、鳥は手足を生じて立あるき、獣は羽を生じて共に人に似たる物となり、然れども此も遂には消え失る物と聞たり」では、そうならなかった場合はどうなるのか?
 「天狗の業已に果てしのち、人跡絶え果たる所に入定したる時を、波旬と名つく。一万才ののち人身を受くると言えり」
 この波旬が即ち「天魔」である。これは天子魔の略語であって、欲界の頂上「他化自在天」のあるじとその民とを言う。さすがに此処では物欲ならびにセックス上の欲望が少しも無い。も見当らない。その代りに我意が滅法界に強い。「世間楽に著して有時の邪見を生ず」大智度論は第六天を評して言っているが、これは時間偏重を指すのであろう。急がしいくと口に出す者は、そのようにして稼いだ時間を我身の享楽の方へ廻そうというのである。こうして彼はしょっちゅう多忙である。スペイスとスケジュールとスピードが天魔の境涯なのだ。
 欲界の王は即ち「此世の君」である。彼は人間界に時々現われる修行者、言い換えると「時間否定者」に惧れを陵き、自らの巻族を奪い、己れの宮殿を破壊する所以だとして、極力これを迫害しようとしている。その点でも彼は甚だサタンに似ている。第六天の住民の身長及び定寿の程はち,αっと度忘れしたが、その背丈については、ミルトンの失楽園のなかに、「サタンは塔のように背が高く四万フィートに及ぶ」とあるところと大差はない。
 いったん「色界初禅天」の大梵天になると、エホバに比較されようか?馬勝尊者が大梵天の所へ行くと、「我は常住である。究寛して安楽、人類の父であるぞ」と来た。下方の多神王国的煩雑と礒れはすでに浄化され、道徳と善行、敬慶と純潔を重じ、瞑りなき慈愛にみちくてはいるが、なお矯証の心から離れることができない。「この批界の一切及びヒューマニ一アィーは総て我が国土である」これは既成概念にあえて自身を縛り付けようとするのであって、政治的態度を一歩も脱け出るものではない。そこで馬勝尊者は、「暴露戦術もよいかげんにして頂きたい」と申し入れた。もう一ぺん下界からおさらいしてみよう
多神王国では、竜、夜叉、羅刹、乾閣婆、加楼羅のやからが四時多数の衆生を殺傷し、農作物を破壊している。これに対する取締役の八部衆みつからが間違いを仕出かしているのだから、堪らない。次に帝釈天は無数の天女に囲続されて金粉の楽欲中に沈酔している。しかし修羅族の反抗はいつ終る見込みとてはないのである。
 一神教的世界は兜率から初禅天までであるが、それも大梵天になると唯一無二。梵衆はとにもかくにも欲界からは超越している。彼らに性別がないことは、如来、菩薩、明王たちと同列である。案ずるところ、われわれの現代文明は大梵天まではとても行けそうにない。せいぜい「前後百才のことを悟り虚空を飛ぶこと隼の如き」天子魔の境涯を以てとどめとしているかのようだ。上品は魔王、中品は魔民、下品の魔女即ち「尼天狗」で、頭にうすぎぬを掛けて太虚を飛ぶ。
 喫煙が鬼神の真似事であることは言うまでもないが、われわれはなおヵーニヴァルやプアンシー・ボールの扮装として、硬直した死面を、彩色したどくろを、蠕蠕のような羽根をつけたがっている。吸血鬼鳩般木奈を想わせる口紅と夜叉的なマニキ.一アは夙くから見られた。女性らはいまにツノのような管を差したり、細いキバに似た金冠を彼女らの両犬歯にかぶせることであろう。西洋人のあいだに流行している禅とかヨガとかも、四禅的清浄境への憧れというよりもむしろ「眩量慨惚」の新版を求める点にあるようだ。
 徳川中期の作と言われる「をのこ草紙」の著者は不明だそうであるが、この中に次のようなことが見える「今より五代二百五十年を経て世の様変り果てなむ。切支丹の法愈々盛んになりて空を飛ぶ人も現はれなむ。地を潜る人も出で来るべし。風雨を駆り雷電を役する者もあらん。死したるを起す術も成りなん。さるま\には人の心漸く悪しくなり行きて恐ろしき世の相を見つべし。親は子をはぐくめども子は親をかへり見ず馬夫は妻を養へど妻は夫に従はず、男は髪長く色白く痩せ細りて戦の場などに出で立つこと難きに至らん。女は髪短かく色赤黒く挟なき衣を着、淫り狂ひて父母をも夫をも其の子をも顧みぬ者多からん。萬づ南蛮の風をまねびて忠孝節義は固より仁も義も軽んぜられぬべし。かくていろく衰へ行きぬる其の果に、地水火風の大なる災起りて世の人十が五は亡び異国の軍さへ攻め来りなむ。此の時神の如き大君世に出で給ひ、人民悔ひ改めてこれに従ひ世の中再び正しきに帰りなん。其間世の人狂ひ苦しむこと百年に及ぶべし云々」



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