2019年5月28日
パルテノン(6)―ギリシャ紀行― 中河与一
神殿はペルシャとの戦ひに勝った後、即ちギリシャの盛時、紀元前四百五十四年から着工せられて十六年かかって完成せられたものだといふ。
その後ギリシャは歴史の表面からかくれて、シュリーマンが堀り起すまで長い間眠りつづけてゐたと云っていい。
千八百二十二年になって独立の宣言をするまで長い間ギリシャはローマやサラセンの支配下にあったのである。
バイロンがトルコからの独立戦争に参加した話は有名である。彼はギリシャをヨーロッパの源泉と考へて、どれほどここに憧れ、讃美したかしれなかった。
然し千八百二十四年、彼は戦ひの最中、マラザヤにかかって倒れ、今は彼の使ってゐたキャンバス・ベッドと篭(つづら)だけが歴史博物館に残ってゐるのにすぎなかった。シュリーマンが発堀を初めたのは、その後四十六年たってからであった。