2019年6月4日
パルテノン(11)最終回―ギリシャ紀行― 中河与一
その翌日はアテネから一時間、古代から著聞してゐるエーゲ海のピレウス港に行き、ついでバサリマニ港やトルコリマのヨット・ハーバーに出た。そこの風景にも明らかに健康なギリシャの空気が感じられた。それは余りにも美しく、過去の平安な風土に誘ふ魅力を充分にもってゐた。
それらは透明な青空の下にひろがって、対岸の島には白い建築が重なって建ち、しきりに私にデュッフイの描くフレッシュな海岸風景を思ひださせた。
道ばたには赤い撫子のやうな花が咲き、キンポーゲの黄色い花が咲き、オリーヴや、サイプレスや、ザクロの木が立ってゐた。
帰りがけ現代美術をならべてゐるザピオン美術館に寄ったが、そこの作品は総じてつまらなかった。
ただそこの宏荘な庭で休んでゐると、ピスターといふ木の実を少年が売りに来た。
南京豆と銀杏の中間のやうなもので、一寸した南方の風味があった。私は旅行中長い間それを鞄に入れて持ってゐた。
その日の午后、私は王宮の前に出、ジ一ビターの神殿の前を通り、もう一度パルテノンに登って恋着する者のやうに、そこを何時までも俳徊し、それから風の塔の方におり、シリア人の建てた古いビザンチン建築を見て宿に帰った。
夜はパルテノンに照明があてられ、ホテルの屋上から遠く、それは昼聞とはちがった華麗さで、今も生きてゐるやうに立ってゐた。
私には今も二つの――昼と夜のパルテノンがハッキリと眼底に残ってゐる。