2019年7月8日
偶感(4) 結城哀草果
さて最上川の波は平隠の日は、すべて下流に向ってひたひたと立つのであるが、茂吉の歩いてゆく今日は、下流の方から吹上げる猛吹雪にあふられて、最上川の波が逆さに白く上流に向って立つのである。茂吉はそれを目撃して、その具象を「逆白波」といふ造語にして、
最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも
といふ歌に表現したのである。そして茂吉は心のなかで、得たり賢しの快哉を叫んだこととおもはれる。
芭蕉は最上川からはじめは「涼し」を把握し、後にそれを「早し」と訂正した。また茂吉は同じ最上川から「逆白波」を発見して終生の秀歌を生んだ。しかして茂吉の歌は芭蕉の句に比して、その質量と標高に於て、優るとも劣らぬ作品であるとおもふ。
しかして芭蕉の句に於て、また茂吉の歌に在っても、共に二人の専らなる足と眼の努力が土台であることを認識し、その偉大さを痛感する次第である。