2019年7月24日
時間の密度(3) 杉浦明平
時間というものは永遠の過去から永劫の将来にむかって流れつづけるのであろう。しかし永遠の過去とか永遠の将来とか、いくら考えても、考えきれない。こわくなるばかりだ。科学者のバナールも、永遠のことを考えるのはこわいというようなことを洩らしていたから、その点ではだれも同じようなものにちがいない。哲学者も永遠の問題は解くことができていないらしいから、わたしも、そういう時間のことはなるべく考えないことにしたい。
しかし、時間の流れが、年をとるにつれて速度をましてくることだけはまちがいない。子供のころには、一日が長かった。一年先といえば、はるかかなたに霞んでいるように見えた。今でも小学校六年を卒業するまでが人生の半分の長さに思える。