2019年7月25日
時間の密度(4) 杉浦明平
時計のきざむ時間は、たぶん今も四五十年前も変りはない。目下、宇宙はおそろしい勢いで膨張しているそうだから、地球上の単位でものごとをはかることはまちがいやすいかもしれないが、五十年や百年の単位では、大した誤差もあるまい。ともかく、年をとるにつれて、月日の足が早くなるのは、肉体および感覚と関連があるのではあるまいか。子供の感覚はきめがこまかく、新しい事象にたいしていつも新鮮なおどろき(ときにおそれ、ときによろこび)を感じる。子供のとき、ずいぶん高い山だとおもったのが、今では、小さな丘であり、こわいほど遠い町が、今では、オートバイや自転車でゆけば、三分かそこいら、徒歩でも十分かかるかかからないところになった。幼年時代、少年時代の思い出の場所にいってみれば、たいてい、がっかりするものだ。