2019年7月31日
詩と釣りと(1) 伊藤桂一
私は終戦后間もなくの足かけ二年ほどを豊橋でくらした。母と妹はさらに五年、豊橋にいて東京に移ってきた。妹は死んだが、母は現在も、年に、二、三度は豊橋へ遊びに出かける。
豊橋にいたころの私の生活と思想は、虚脱以外のなにものでもなく、このときほど自身の生活的無力感に責められたことはない。仕事もなく知己もなく、金もなく上京の方途もなく、市営のマッチ箱のような住宅の片隅に、憂欝な蛙のようにいちにち坐っていた)
しかしふしぎなもので、こういう状態のとき、詩作だけはいくらでもできた。つまりそこにしか救いがなかったからで、あとあと、このときの詩への白熱的な没入が、ずいぶん役に立ってきた、と思っている。
このころ近所に釣り好きの人がいて、雨後の豊川でナマズを釣る話をして、しきりに私を誘ったが、あまり興味がなくて行かなかった。彼はいつもポケットにカタツムリをいくつかもっていたが、それがナマズ釣りの餌で、表を歩くときは、カタツムリをさがしては採集しておくのである。