2019年8月1日
詩と釣りと(2) 伊藤桂一
もうひとり昔航空会社にいた人がいて、この人も釣りに誘ってくれたが、1度だけハゼ釣りに行った。面白かったが、しかしそれだけのことで、自身積極的に釣りに出ようとは思わなかった。当時は甚しく意気沮喪していたので、はっきりいって、生きていること自体が面倒だったのである。
この生きていることの面倒くささ――は、その后、五年も十年もあとを引いていて、現世の事象に興味なく、従って孤独な営為のなかで、自身の文学とだけ親しんだ。これは、戦っていたときの使命感が、文学行動に振りかえられたものであるらしい。
戦后十年目くらいから、ようやく釣りに本格的な関心をもち、人生の目的が文学と釣りと二つになった。少なくもそれはそれだけ自身が回復したことになり、精神的にも余裕をもったことになるが、そのころになって、なぜあのとき豊橋で釣りに熱中しなかったのか、をしきりに後悔した。