2019年8月8日
小宮豊隆先生(青春の回想の一部)(1) 津村秀夫
私の東北大学入学は昭和三年四月で、入学試験を受けに行ったのはまだ肌寒い仙台の早春の頃であった。
その歳、すでに東大文科を受験して見事落第していた。私が小宮豊隆教授のいる東北帝大を選んだのは、鹿児島の七高時代にストリンドベリイを愛好したからだったが、当時、わが国の文学者でストリンドベリイを特に研究している人は極めてすくなかった。小宮さんはストリンドベリイの練訳で知られていたし、また漱石門下の高弟だと云うことも、私には最後の決心をつけさせる魅力であった。
今、当時を考えてみるとおかしいが、旧制高校の白線帽としては東大の赤門が憧れの的であった。赤門に入れないと云うことは非常な屈辱に感じられた。