2019年8月20日
小宮豊隆先生(青春の回想の一部)(5) 津村秀夫
私学へ行くくらいなら、まだしも帝国大学の名のついた仙台の方がましな位に思い、とにかく今更フランス語を切歩からやり直すのも不安だから、結局仙台を受験することにしたが実は入学して見ておどろいたのである。
この仙台の三年が、私の生涯に思いがけない幸運だった。南国薩摩の三年のあとに続いたので、結局目本の風土の極端から極端を体験したようなことにも恵まれたし、日本の自然の恵みの柔和な一面と、きびしく峻烈な半面との双方を体験できた幸運にも接した。が、何よりも生涯忘れ得ぬ人物に接したことが私の運命の転換であった。
小宮教授は当時の東北大のドイツ文学科主任教授だったが、私は先生によって文学芸術の眼をひらかれた。先生の鋭い批評眼と豊かな芸術上の感受性は、大学教授のワクを外れていて、私をおどろかせた。