2019年8月22日
小宮豊隆先生(青春の回想の一部)(7) 津村秀夫
この私の体験は大学の授業料なんぞにくらべると、実に貴重なもので、私の生涯を決定するような収穫でもあった。
だいたいドイツ文学科の生徒と云うのが、極めてすくなく、同期生が私をこめてわずか五入。二年、三年の先輩を入れても教室に集るのが十二、三入だから、安い授業料である。まるで大文学者を独占するようなもので、ほとんど私塾の観があった。
私の出席した講義の中で最も学生数の多いのは、阿部次郎教授の「美学及び倫理学特殊講義」と云う時聞で、阿部先生はいつも黒紋付の羽織を着て、折目正しい袴をつけ、小躯ながら威風堂々たる風姿でニーチェを講じた。アポロンとディオニューゾスについて語られたが、この時間でも精々二百人足らずの学生であった。
国文学の時間なども多い方だったが、私は岡崎義恵教授の「近松の浄瑠璃」をきいたが、それでもわずか百名足らず。五、六十人のことも多かった。