2019年8月23日
小宮豊隆先生(青春の回想の一部)(8) 津村秀夫
四十年後の今日、私は慶大の講師として、映画論の講義をしているが、生徒はいつも四、五百名で、マイクを使わないとうしろの方の学生には聞えない。マスプロ教育の哀しき現実にふれ、はたしてこれで大学教育の実質的効果があるのかと疑うほどだが、もっとひどいのは学年末試験である。
はじめは二千名ぐらいの答案を採点していたが、四年目、五年目になると三千名にぼうちょうした。いかになんでも、三千枚の答案を採点するのは容易なことでない。
教師に取ってはむしろ最大の苦痛である。こんなことでは大学生も可哀そうだと思うが、教師の身にもなってみると正に社会奉仕を越えた苦痛である。
四十年前に自分が体験した幸福な大学教育にくらべて雲泥の違いで、今の学生は気の毒だし、不幸だと思う。
大学教育も経済や法科ならそれでもまだすむだろうが、文科の教育と云うものはとうていダメである。
個々の教師がゼミナールを設けることによって、多少は学生に親しく接し、指導することもできようが、とうてい私が仙台市北二番丁六八の小宮先生宅、その奥の八畳の間で、三年間毎週一回、四時間も五時間も薫陶を受け続けた実績にくらべたら物の数でもない。私はほんとうに先生の手塩にかけられた弟子になった。