2019年8月28日
小宮豊隆先生(青春の回想の一部)(11) 津村秀夫
漱石門の人々はたいてい鏡子夫人から借金をしたことがあるらしく、小宮先生もたびたび借金したと云っていられたが、そう云う時の、夏目夫人は中々の女親分的素質に恵まれていたらしい。
漱石の親しい友人の中には悪妻だったと非難する人もあるらしいが、(事実また「道草」などにはその被害者としての漱石も出ている)だが、親しい門人たちに取ってはありがたい女親分でもあったようである。
私は大学時代に鏡子夫人の口述による「漱石の思い出」も一読したが、そこには漱石先生の神経病的ないらいらした時代の奥さんの苦労も語られていた。
大学卒業後、多分昭和十年頃であったが、仙台から上京された小宮先生のお伴をして、池上にあった老鏡子夫人のお宅にも伺ったことがあるが、お弟子の中で最も夫人と親しくし、また世話にもなったのは小宮さんであるらしかった。私はおふたりの会話を聞いていて、それを感じた。事実、漱石没後の夏目家の世話を焼かれたのも、故岩波茂雄氏は別として、手塩にかけられた文学者の中では小宮豊隆その人ではなかったか。