2019年9月12日
アルベール・カミユ 「結婚」 柏倉康夫訳 ティパサでの結婚(7)
ティパサでの結婚(7)
わたしはここで、人が栄光と呼ぶものを理解する。それは際限なく愛する権利のことだ。この世にはたった一つの愛しかない。女の身体を抱きしめること。それはまた、空から海へ降ってくる、この不思議な歓びをわが身に引きとめることだ.もうすぐ、わたしはニガヨモギのなかに身を投げ、その香りを身体に染み込ませると、あらゆる偏見に逆らって、一つの真実を達成したいと意識するだろう。それは太陽の真実であり、死の真実ともなるだろう.ある意味では、いまここでわたしが演じている生だ。熱せられた石の味と、海やいままさに鳴きはじめた蝉の吐息に満ちた生だ。微風はさわやかで、空は青い。わたしは手ばなしでこの生を愛している。そして、それについて自由に語りたい。それはわたしに、人間である条件の誇りをあたえてくれる。ただ、わたしは人からよくこう聞かされた。誇るに足るようなものは何もないと。いや、あるとも。この太陽、この海、青春に躍動するこのわたしの心、塩辛い味がするわたしの身体、そして、優しさと栄光が黄色と青の世界で落ち合う、この果てしない背景こそ誇るに足るものだ。それらを獲得するためにこそ、わたしは力と手段を講じなくてはならない。ここではあらゆるものが、わたしの手に触れず、わたしは自分のものを何一つ放棄しない。わたしはどんな仮面もかぶらない。生きるための難しい知恵を、忍耐強く学ぶだけで十分だ。それは世の人びとの処世術に匹敵するものだ。