2019年9月24日
「ジェミラの風」(1)アルベール・カミユ 柏倉康夫訳
精神の否定それ自体が真実である、そんな真実を生むために、精神が死ぬ場所がいくつかある。わたしがジェミラ(1)へ行ったとき、そこには風と太陽があった、でもそれは別の話だ。
まず言わなくてはならないのは、そこを重く亀裂のない大きな沈黙――なにか秤の均衡といったものが領していたことだ。鳥のさえずり、三つ孔のフルートの柔らかな音、山羊の足踏み、空からくる騒めき、こうした物音がこの場所の沈黙と荒廃をつくりだしていた。時として、かさかさという乾いた音、鋭い叫びが、石の間に隠れていた鳥が飛び立つのを知らせてくれた。どの道をたどっても、たとえば家々の廃壇の間の道、光輝く石柱の下の石畳、凱旋門と丘の上の寺院の間にある巨大な広場、こうしたすべてが、ジェミラの四方を取り囲む窪地へと導いてくれる。ジェミラは果てしない空に向かって開かれたカルタ遊びだ。そして、人びとは、日が進み、山がすみれ色に変わりつつ威容を増すなか、精神を集中し、石と沈黙とに向かい合って、そこにたたずむ。ジェミラの台地には風が吹く。この風と、廃櫨に光を降りそそぐ太陽との大いなる混合のうちで、何かが鍛えられ、人間に、死せる街の沈黙と孤独に見合った尺度をあたえるのだ。
訳注
(1)ジェミラ(Djemila)は、アルジェリアの北東の海岸に近い山村。村の名前はアラビア語で「美しいもの」を意味する。ラテン語名はクイクルム(Cuiculum)といい、西暦一世紀に建設された植民都市だった。