2019年10月7日
「ジェミラの風」(10)アルベール・カミユ 柏倉康夫訳
夕方になって、わたしたちは村にいたる斜面を登り、またもとの所へ引き返して、説明を聞いた。「ここに異教徒の街があります。この地域は土地の外へはみ出していて、ここはキリスト教徒のものです。そののち…」。そう、それは本当だ。ここではさまざまな人間や社会が次々と続いた。征服者たちは、その下士官たちの文明でもつて、この地域に痕跡をしるした。彼らは偉大さについて、愚かで滑稽な観念をつくりあげた。彼らの帝国が占める表面積によって、その偉大さを測るのだ。奇跡、それは彼らの文明の廃嘘が、彼らの理想の否定でさえあることだ。なぜなら、暮れなずむ夕暮れに、凱旋門のまわりを鳩が飛翔するなか、この高みから見た骸骨のような街は、大空に、征服と野望のしるしを刻んではいなかった。世界は最後には歴史を打ち負かす。山と空と沈黙のあいだで、ジェミラが投げる大いなる石の叫び、その詩をわたしは知っている。明晰さ、無関心、絶望、あるいは美の真のしるしを。いま去ろうとしているこの偉大さを前にして、わたしは心臓がしめつけられる。ジェミラは、その空の悲しい水、高原の反対側から聞こえてくる鳥の歌声、丘の中腹で、突如、短く転がるように聞こえる山羊の声とともに、わたしたちの背後にとどまっている。そして、穏やかで、音がよく響く夕暮れのなかに、祭壇の正面で角笛を吹く一人の神の生きた顔がある。