2019年10月9日
アルジェの夏(2)アルベール・カミユ 柏倉康夫訳
自然の富の過剰が、どんな無味乾燥をもたらすかを理解するには、アルジェで長く生活する必要がある。ここには学んだり、修養を積んだり、向上しようと思うようなものは何一つない。この国には教訓がない。何も約束せず、何かを垣間見せることがない。それはあたえること、しかも十分にあたえることで満足する。この国ではすべてが目にゆだねられていて、人びとはそれを楽しんだ瞬間から、このことを知るのだ。この快楽につける薬はなく、この国の歓喜は希望のないままだ。この国が要求するのは、ものを明晰に見る魂で、だから慰めはない。この国は、信仰に関わる行為をするときのように、明確な行為をすることを要求する。ここは、この土地が養っている人びとに、素晴らしさと同時に悲惨さをあたえる奇妙な国だ! この国の敏感な人たちには官能の豊かさが備わっていて、それが極端な貧困と一致している。だがそれも驚くには当たらない。苦さを伴わない真実などありえない。そうだとすれば、わたしがこの国の顔を、もっとも貧しい人びとの境遇のなかでしか愛せないからといって、なぜ驚くことがあるだろうか?