2019年10月17日
アルジェの夏(7)アルベール・カミユ 柏倉康夫訳
だが街のもう一方の端では、夏はすでに、わたしたちにこれとは対照的な別の富をもたらしている。わたしが言いたいのは、沈黙と倦怠のことだ。沈黙は、それが影から生まれるか、それとも太陽から生まれるかで、その質は同じではない。総督府の広場には真昼の沈黙がある。広場の周囲に立つ木陰では、アラブ人たちが、花の香りのする冷たいレモネードを五スーで売っている。「冷たいよ、冷たいよ」という彼らの呼び声が、人気のない広場を渡っていく。その叫び声のあとでは、ふたたび沈黙が太陽のもとに落ちてくる。物売りの水差しのなかで、氷が裏返り、そのかすかな音がわたしの耳に聞こえる。シエスタの沈黙がある。海軍省通りの垢じみた理髪店の前では、穴のあいた葦簀の背後で、蝿がたてるメロディーを伴ううなり声で、沈黙の深さを計ることができる。他方、カスバのモール人のカフェで沈黙しているのは肉体だ。肉体はこうした場所から離れられず、お茶のコップを手離すことも、自分の血がたてる音で時間を取り戻すこともできない。そしてとりわけ、夏の夕方の沈黙というものがある。