2019年10月25日
アルジェの夏(12)アルベール・カミユ 柏倉康夫訳
ところで、こうした死のイメージが、決して生から切り離されないことを、どうしたら理解してもらえるだろうか?ここでは諸々の価値が密接に結びついている。アルジェの葬儀人夫が好きな冗談は、空の車を引いているときに、道で出会う美しい娘たちに、「お姉さん、乗るかい?」と呼びかけることだ。たとえそれが遺憾なことであっても、そこに象徴を見るのを妨げるものは何もない。左目で死亡通知にウインクして、「可哀想に、奴はもう歌えないな」とか、夫を決して愛したことがなかったオランの女のように、「神様がわたしにあの人をおあたえくださり、神様がわたしからあの人を取り上げてしまわれた」などと答えるのは、同じように冒涜的に見えるかもしれない。でも、いずれにせよ、わたしは死が持っている神聖さなど分からないし、逆に、恐怖と敬意の問の隔たりを強く感じる。ここではすべてが、生へと招かれている国で死ぬ恐怖を呼吸している。だがベルクールの若者たちが逢引をし、娘たちがキスと愛撫に身をまかせるのは、この墓地の同じ壁のもとなのだ。