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2019年11月26日

砂漠(終) アルベール・カミユ 柏倉康夫訳

 ボボリの庭で、わたしの手が届くところに、黄金色をした大きな柿がなっていて、そのはじけた果肉は濃厚な果汁をしたたらせていた。彼方のうっすら見える丘から、この果汁一杯の果物へ、わたしを世界と一つにするひそかな友愛から、手の上のオレンジの果肉へと追い立てる空腹へ、わたしはある種の人間を禁欲から享楽へ、一切の放棄から官能の乱費へ導く均衡を捉えていた。世界に人間を結びつけるこの絆、わたしの心が加わることで、幸福の明確な限界を示すこの二重の反映を、わたしは讃美していたし、いまも讃美している。世界はこの限界で、幸福を完成するかもしれないし、あるいは破壊してしまうかもしれない。わたしの反抗する心に、ある種の同意が眠っているのを分からせてくれたヨーロッパの数少ない場所の一つ、フィレンツェ! 涙と太陽が混じったその空のなかで、わたしは大地に同意し、その祝祭の暗い焔のなかで身を焦がす術を知ったのだった。わたしは悟った・・・・だがどんな言葉を? どんな常軌を逸した言動を? いったいどうやって、愛と反抗の一致を確立するのか? 大地! 神々に捨てられたこの大いなる神殿のなかで、わたしのすべての偶像は、みな脆(もろ)い土の足をしている。

訳注
(1)ジャン・グルニエは小説家で哲学者。一九三〇年から三八年までアルジェの高等中学校の教師だったときカミュと出会い、大きな影響をあたえた。二人の間には子弟の関係を超えた友情が育まれた。グルニエはもう一人の教え子のエドモン.シャルロに出版業の経営を勧め、シャルロはアルジェで「レ・ヴレ・リシェス(真の富)出版」を立ち上げた。カミュの『結婚』の初版はここから刊行された。
(2)ジオット・デイ・ボンドーネは中世後期のイタリア人画家で建築家。
(3)ピエロ・デッラ・フランチェスカ、イタリア・ルネサンス期を代表する画家。
(4)マエスタ、キリストを抱いた聖母マリアの像
(5)ピアッツア・デル・ドゥオーモ、ブイレンツェの中心にある大聖堂。
(6)ディオニューソスはギリシア神話の神で、しばしば酒や踊り、音楽などで人びとを酔わせ、彼らをさまざまな抑制から解き放って、自然な状態に立ち戻らせた。これが「ディオニューソスの秘儀」である。
(7)エレウシス、古代ギリシアのアテナイに近い都市。ギリシア神話に登場する女神デメテルの祭儀の中心地として知られる。
(8)サンティシマ・アヌンツィアータ、フィレンツェにあるルネサンス様式の教会堂。
(9)アルチュール・ランボi、一九世紀フランスの詩人。彼は一八七三年(一九歳)の十月、散文詩集『地獄の季節』を出版、二年後の一八七五年(一=歳)の二月には、同じく散文詩集『イリュミナシオン』の原稿をヴェルレーヌに託した後は、一切詩をつくることはなかった。その後はヨーロッパ各地を転々とし、一八八〇年(二六歳)の八月、バルデ商会のアデン代理店に雇われ、一二月にはバルデ商会が新設した代理店に着任するために、隊商とともにアビシニア(現在のエチオピア)のハラルに行き、以後、交易と探検の生活を送り、三七歳まで当地にとどまった。そして一八九一年(三七歳)のときに骨肉腫を発症し、帰国してマルセイユの病院で右脚を切断する手術をうけたが
回復せず、この年の十一月に死去した。



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