2019年11月27日
語りかける(1) 佐藤東洋麿
そこにいないひとにそんなことをすることはめったにない。だが困りはてたときに何度も救ってくれたり、はてしなく心が沈んだときに浮上を助けてくれたりした友が、墳墓の下で眠っているときはまた別だ。関一郎さんは今、横浜霊園の四十六番地に眠っている。
考えてみると彼と語り合うことはもうほとんどないのだった。お互いに忙し過ぎた四十代五十代なのに、週に一度は地域に立ちあげたサロンで何時間も、しばしば夜明けまで、飲食(手作り)遊戯(カラオケ、麻雀)歓談(体験した理不尽、それぞれの価値観)学習(悪徳商法の見分け方、自筆遺言書の書き方)等々で共に時間を過ごしたからである。
サロンの会員はほぼ三十名くらいだが、週末には約半数きていた。誰かが関さんに相談をもちかけ、けんめいに訴える。
「そこから先は事務所にきてよ」
・・・・・彼は関内駅から徒歩十分ほどの法律事務所の弁護士だった。