2019年11月28日
語りかける(2) 佐藤東洋麿
私が救われた彼のひと言は、「何か契約でも結んでるの?」
である。その頃私はかなりの数の翻訳を依頼されていて、それも私が専門とする十九世紀フランス叙情詩とは関係がないものがほとんどだった。『ナルシスの変貌――ダリ芸術論集』(国文社)、二十世紀の画家サルヴァドール・ダリのことを知ってはいたが、これほど難しい文章をいったい誰が読むのだろう。
そう思いながら作業を続けるとますます気が重くなる。
明日はまた勤務先の大学で授業があり、もしかしたらまた出版社から催促の電話が……苦しいグチを打ちあけると関さんが、
「締め切りを過ぎると罰金とか、契約でも結んでるの?」
と言ったのだ。私は目が覚めた。
そうだ、オタクに養われているわけじゃない。よし、右から左に聞き流すぞ。ふしぎに心が晴れ晴れした。