2019年12月9日
日々雑感 第二話 及部十寸保
第二話 「天才棋士 藤井聡太」
私は将棋が好きである。弱いけれども好きである。私の勤めていた桜丘高校は、中国の南京師範附属中学(中国の中学は日本の高校と同じ)と友好交流を続けていた。毎年、中国を訪れた。三十年前、中国の交通事情はいい加減で、何時間も待たされた。幸い、同行者の中に、将棋の強い教師がいて、待ち時間に将棋を教えてもらえた。
昨年、将棋界に藤井フィーバーが起きた。プロ棋士になった藤井聡太が無傷の二十九連勝をやってのけた。前代未聞のことであった。
藤井棋士は十六歳。高校生棋士である。またたく間に、四段から七段に昇った。私はフアンになった。そして、第一人者羽生九段をはじめ、佐藤名人、渡辺竜王を破り、私が現在最強と思っている豊島八段をも破った。これには驚かされた。 まだ八大タイトルには手が届かないが、その下のランクの新人王戦や朝日杯では優勝し、年間の勝率で、八割五分を越え、 全棋士中、最高である。しかも、二期連続である。
先日もテレビの将棋番組で、解説者が「藤井君はすべてに強いので、他の棋士が真似る。」と言っていた。棋士の中には「藤井君のように考えるのは好きでないから自分は定石に従って打つ。」と言うのもいる。つまり、定石を含む、旧来、 常識とされてきた戦型とか戦術を、藤井棋士は次々と修正しているのである。
将棋は内弟子制をとっている。棋士を目指す者は、名のある棋士を師匠として、定石や師の将棋を学ぶ。だから、師を越えられない。ここに将棋の停滞が始まった。しかし、藤井棋士の師匠、杉本八段は、藤井棋士に自分の好きなように指すことを教えた。藤井棋士は、懐の広い、よい師匠に巡り合えたと言える。藤井棋士の自由な発想に基づく将棋を見て、 若い棋士たちが刺激を受け、努力している。将棋界の新たな風に多くの人が共鳴して、将棋人ロも飛躍的に増えた。
藤井棋士らは広く人々の支持を受けているから強い。しかし、藤井君、時々ポカをする。順位戦c級一組の将棋で痛い一敗を喫した。順位戦では無敗だったのに、そのため連続昇級がかなわなかった。藤井君の首を垂れ、肩を落として意気消沈している姿が放映された。強い藤井棋士が何故負けたのか。経験値の差と言われる。指したことのある手なら、考える時間はさほど要らない。新しい手ばかりだと、肝心なとき、考慮時間が少なくなる。経験を積めば、そのポカはなくなっていくものだと思われる。
実際、藤井棋士は強い。特に劣勢になったときに、他の棋士が考えもつかないような手を編み出し、逆転するというのが彼の持ち味である。
二〇一九年三月二十七日、私は東京千駄ケ谷の将棋会館に行った。それは、孫たちが住む東京を見物するための旅行で、 そのついでに寄ってもらった。ところが、後から知ったことには、その日、将棋会館では、竜王戦の予選が行われていたのである。しかも、藤井棋士が中田宏樹八段と闘っている最中だったのだ。そのとき、将棋会館には多くの人が詰めかけ
ていたのだが、皆、神妙な顔をしていた。藤井棋士が大苦戦していたのである。ところが、その日の夜遅く、「毒鰻頭」 と言われる妙手によって大逆転。将棋史に残るような名局をつくったのである。
私は、そのようなことは、旅行中何も知らず、将棋会館で、藤井棋士が「飛翻」と書いた銘のある湯呑茶わんを購入した。しかし、それは、大変価値のあるお土産になったのである。
2019年3月31日 記す