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2019年12月11日

日々雑感 第四話 及部十寸保

第四話 「東京見物」
  実施日】二〇一九年三月二十七日~二十九日
  参加者】及部十寸保・幸子 大岡祐子・みずほ・千紘 大場紀子・梨衣・真・航

 三月二十九日午後七時五十六分、新幹線下り、大阪行き「ひかり」が豊橋駅に到着した。一分停車である。早く降りなければと焦るが、足が動かない。この三日間の疲れで、足が硬直していた。
 客が降りて空席となった椅子をつたって、必死に出ロに向かうが、発車ベルが鳴った。もう駄目だと観念したとき、ホ ームから、合唱で鍛えた祐子の「降りまーす」と絶叫する声が聞こえた。それを聞いた駅員や列車内に乗っていた警備員が駆けつけてくれた。降りられた。婿の吉恭さんの迎えの車で無事帰宅することができた。
 年に十回ほど、亜鳥絵の企画展に写真を出展する。その作品づくりに、この数年、年に二回京都を訪れた。京都には、 孫のみずほが住んでいる。案内をしてもらって、春には桜、秋には紅葉の写真を古都で撮影した。
 孫六人のうち四人が、特に大場の方は三人とも、東京・千葉で暮らしている。今回は、京都ではなく東京(との声があがった。桜の撮影、孫が住むアパート、勤務先を見てまわろうというものだ。宿を予約したのは半年以上も前。その後、東京を全く知らない祐子は事前に下見にまで出かけた。
 年が明けてから、行動計画作成が始まった。最初は祐子と紀子で始めたが、細部までは東京がわからない祐子では、話がまとまらず、プランは、紀子と梨衣が中心になった。私の希望を聞き入れてくれ、将棋会館、建設中の新国立競技場、 両国国技館もコースに組み入れてくれることになった。
 歩行困難な私のために、車椅子と歩行器が用意された。車椅子は、福祉サービスの親切な国本さんが用意してくれた。 それでも、電車やタクシーばかりの移動では大変だからと、紀子と梨衣がレンタカーを借りてくれた。紀子は、実際、豊橋から事前に車でいき、東京都内を車で移動する練習をしてくれた。また、孫たちの住むアパートを休憩場所として提供できるよう、整えてくれた。
 直前まで、天候や桜の開花状況を見ながら、何日目にどこに行くかの細案づくり。何で動き、どこで食事をするか、どこで休憩するか。紀子が臨機応変に動けるよう、いくつものプランをたててくれた。東京に住む孫たちも事前に、撮影スポットを訪れたり、インターネットからとりよせたりして、情報をいくつも寄せてくれた。
 私の車椅子での移動には、「私は毎日高齢者を運んでいる。」という看護師の梨衣に、同じく看護師の千紘が協力。大学生の航は、サークルの行事を断って、前々日に豊橋入り。三日間豊橋から東京駅まで、付き添ってくれることになった。 みずほも京都から駆けつけてくれ、真はレンタカーでの運転のため、無理をして、会社から半日の休みをとってくれた。こうして、東京見物の体制は整った。
 二十七日、東京は快晴。雨女と自称する祐子が仕事の都合で遅れてきたのが幸いしたのかもしれない。徐々に寒気が入り、寒くなっていったが、それでも、桜はどんどん開花していった。二十七日の小石川後楽園、二十八日の隅田川沿いの公園、二十九日の芝公園増上寺。皆の下見や情報のおかげで、そこの桜が一番よいときに撮影することができた。
 宿の近くの目黒川の夜桜は、高速道路の下の橋からの撮影。橋も揺れるし、風も強い。あまりの寒さに手も震える。芯から冷え切りながらも、それでも、頑張って撮影した。航が寒い中、身体を支えてくれ、なんとか撮影することができた。
 見学場所としていた将棋会館、新国立競技場、両国国技館にも無事に行けた。
 新国立競技場は、二〇二〇年のオリンピックの主会場となる。七万人を収容するマンモススタジアムの建設工事は、四割くらいの進展。最難関の屋根工事に二千人で着手するそうだ。桐生や設楽の走る姿を想像すると、ワクワクする。
 両国国技館は、以前の「蔵前」から移ったドーム型の巨大な建造物で、一万一千九十八人収容という。満員御礼の吊りおろされた幕。優勝力士の写真を掲げる額など、規格外の大きさ。初場所、夏場所、秋場所と、年三回、熱戦がくりひろげられる。かつてない相撲人気である。
 将棋会館には、二十七日に行った。知らなかったが、この日、中田宏樹八段と藤井聡太七段の竜王戦予選の準々決勝が行われていた。多くの人が詰めかけていた。なぜ、その人たちが神妙な顔をしているのか、私は不思議に思っていたが、そのとき、藤井七段の敗色が濃厚だったことを、帰宅してから知った。会場にいた人たちは殆ど藤井ファンだったのだろう。その後、藤井七段が妙手で大逆転し、さぞ、安心したことと思う。そのような歴史的な日に、偶然、将棋会館に居合わせることができて嬉しい。
 隅田公園からは、高さ六三四メートルの電波塔スカイツリーがよく見えた。このスカイツリーの中に、航の通う千葉工業大学の展示スペースがあり、ロボットや人工探査機はやぶさ2の実物大モデルが置かれていた。
 順調な東京見物だったが、トラブルといえば、航の住む西船橋から東京に戻る際、「レインボーブリッジからタ暮れの東京の街を見せてあげよう」と真が頑張って運転してくれたのだが、レンタカーのナビの誘導に惑わされ、何度か道を間違えて、三時間ものドライブになったことだ。ディズニーランドの夜景や葛西臨海公園の光輝く大観覧車を見られただけでなく、殆ど車のいない海底トンネルを通り、レインボーブリッジを遠めに見た後、予定になかった、真の住む町も見られたのである。私の大好きな、「柿の木坂の家」に歌われる、目黒区柿の木坂を通ることもできた。
 レンタカーのおかげで、鳩バスに乗っているような観光もできた。浅草雷門や、永田町、靖国神社や千鳥ケ淵の満開の桜と大勢の花見客。秋葉原の街。古書店の並ぶ神保町も懐かしく車窓から眺めた。
 みんな、本当にありがとう。みんなの協力のおかげで、忘れられない東京見物となりました。嬉しいのは、みんなが明るく元気で、そして、私たちに楽しんでもらおうという気持ちに溢れていたことです。インターネットを利用したアルバムにみんなの撮影した写真が次々と寄せられてきて、いつでも、あのときの楽しさを思い出すことができます。感謝の気持ちでいっぱいです。
 次は十月に奈良に行く計画があるようです。今回参加できなかった陵平、次はよろしく頼みますよ。

2019年4月3日 記す



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