2019年12月12日
日々雑感 第五話 及部十寸保
第五話 「卓球雑感」
この、日々雑感を書こうと思ったのは、マッサージに来てくださる富田氏と会話をした記録を残しておきたいと思ったのがきっかけであったが、最初は、健鞘炎のため、なかなかペンが持てずに苦労した。しかし、富田氏のおかげで、随分調子がよくなった。感謝している。おかげで、ペンの速度も速くなり、原稿が進んでいる。
さて、今日は、桜丘高校の卓球部を日本一にした松井彊先生の話をしたいと思う。そして、今後の卓球界に思うことを記録したい。
松井先生は、三重県の出身で、中学時代はサッカー部、大学時代は柔道をやっていて、卓球に関しては素人であったそうだ。松井先生のお話によると、或る日、当時の校長、満田英一氏より、「卓球部の顧間となって日本一にしてくれないか。」と言われたそうだ。
松井先生は、即刻、日本卓球界のリーダーである荻村伊智朗氏に電話して「卓球を教えてください。」と申し込みをされた。そして、「できることなら、お宅に私を寄宿させてください。」とお願いしたという。この、 一見、厚かましく思える願望を荻村氏は快諾されたそうだ。日本の卓球界を強化するには、若い選手を育成しなければならない。そのためには、 熱意ある指導者が必要と考えていた荻村氏にとって、渡りに舟だったのだろう。
ここに、松井先生の卓球一筋の生活が始まり、桜丘高校卓球部監督が誕生した。就任してまもなく、女子部では、一九六二年、二年生の深津尚子さんが、全国高等学校卓球選手権大会シングルスで優勝した。深津さんは、その後慶慮義塾大学に進学した。一九六五年にはスロベニアの首都リュブリャナで行われた世界卓球選手権でシングルス優勝という素晴らしい成績を残した。
男子部では、地方の三流の桜丘高校卓球部が、地方の強豪校となるのに、十年を要した。しかし、数年後には、インタ ーハイ出場常連校となり、愛知の名電、やがて、東北の強豪校、青森山田と覇を競うようになる。私は、欠かさず、インターハイの応援に出かけたものだが、桜丘の松井監督と青森山田の吉田監督の対決は見ものであった。特に一九七四年・七五年には双子の松下浩二・雄二兄弟が活躍して、桜丘の名前は全国に響いたのである。こうして、松井先生は、押しも押されぬ名監督になったのである。
松下浩二氏は国内チャンピオンとなり、そして、オリンピック代表となっていった。現在、松下氏は、中国を倒すために結成したTリーグのチェアマンに就任している。日本卓球界のトップの一人である。
今、卓球は、高速化の時代に向かっている。試合運びがラリー重視ではなくなった。急激に曲がる「チキータ」のような打ち方が使われ始め、試合もスマッシュ主流となった。張パンチ・美誠パンチが作裂する。高度な技を身につけた若い選手が活躍する。
このような時代に勝つのは、日本か中国か。
期待された三月初めのカタールオープンツアーでは、日本は中国に完敗した。全中国の選りすぐりの青少年が、英才教育を受け、日本より体格が勝る中国選手に勝つのは容易ではない。厚い壁がそこにある。
しかし、百年に一度という天才張本、日本で十回頂点を極めた水谷を配した日本男子は、史上最強である。女子も美誠ひなコンビが必ず中国選手を破ると信じている。
松井先生と私は同年齢。 一緒に日中対決を見ましょう。
2019年4月10日 記す