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2019年12月16日

日々雑感 第七話 及部十寸保

第七話 「水神池の桜」
 今年、あまり桜が美しくないと、あちらこちらで耳にした。しかし、水神池の桜は、それはそれは見事であった。開花が遅れたこともあって、入学式の日にも花がついていた。市の緑地公園課によると、樹齢五十年になるというから、豊川の佐奈川に次ぐ花の名所となるだろう。
 まず、水神池の歴史を紐解いてみよう。豊橋は吉田城を中心に発展した城下町である。城の近くに上級武士、そのまわりに下級武士の居住区。それを、商人の住む町が囲み、それをまた取り囲むように、農民の住む村が存在した。江戸時代に入り、その村々では、多くの新田が開かれた。平川新田もこのひとつで、寛文七年(一六六七年)に、弥兵衛、利兵衛の二人が、城主の許しを得て開発した。しかし、平川の地は水が乏しく、用水の確保のために、水神池を築き、貯水した。 池の傍らに水神を和ったので、水神池と呼ばれるようになった。
 その後、三百年の時を越えて、池の周りは諺蒼とした森になった。昼間も暗く、入ると怖かった。私が中学生の頃、市の中心部から東にむかって自転車をこぐと、急な長い坂があり、息が切れた。坂を登りきったところが東田坂上であり、 そこから湖西連峰までは高い建物がなく、見渡す限りの田園地帯であったことを覚えている。
 昭和五十年、市による全面的な改修が行われて「岩田運動公園」となり、周囲は一変した。南半分は運動諸施設、北半分は水神池を取り巻く公園として整備されたのである。そして、池や公園の周りには、ウオーキングコースが設けられた。 朝にタに、実に多くの人が散歩をしている。私も健脚な頃は、毎日、七五〇mのコースを十周したものである。時には一一十五周、つまり二万m近く歩いたこともあった。池をめぐる散策は楽しかった。野鳥が数多く飛来し、また、野草が池の周りにびっしり咲いていた。
 私は、実は、どちらかというと、桜は好きではなかった。はかなく散る花が戦場で命を落とす青年兵士を思わせたからである。ところが、或る時、新城の龍岳院に撮影に行った。この寺は、昔、私の祖父、青木一保が住職をしていた寺である。寺の山門近くに桜の名木があると聞いていたので訪れたのだが、その木はなかった。通りがかりの人に尋ねると、「昔は立派な桜の木があったんだよ。でも、嵐の日、雷が落ちて木は倒れてしまった。ここの和尚の一保さんは名僧だったが、 昭和七年にガンで亡くなった。その年、桜の木もやられてしまったんだよ。」と教えてくれた。昭和七年というのは、私が生まれた年である。この話を知ってから、私はあちこちの桜の写真を撮りに出かけるようになったのである。
 今年も私は素晴らしい水神池の桜を撮影することができた。しかし、残念なこともあった。水神池の東北の一角に、平川神明社があり、そこの御衣黄桜とシダレサクラを毎年楽しみにしていた。が、御衣黄桜は枯れて切り倒されてしまった。 シダレサクラも今年は花があまりつかなかった。
 今年のように、入学式や入社式に桜が満開なのは本当に嬉しい。気持ちが明るくなる。来年もそういう春が迎えられることを期待している。
 水神池は、私を鍛えてくれた場所であり、私を癒してくれるスポットなのである。

2019年4月20日 記す



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