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2019年12月23日

日々雑感 第十二話 及部十寸保

第十二話 「奥三河の魅力その一」
 (奥三河はしばしば訪れた場所である。もしかしたら、今後も、テーマに選ぶこともあろうかと思い、「その一」と題をつけることにする。)
 亜鳥絵の七月の企画展は、毎年「水百景」が恒例となっている。参考になるのではないかと、四月の企画展に来てくださった、ディサービスフラミンゴの利用者大石敏明氏が「滝王国ニッポン」(北中康文著)という本をプレゼントしてくれた。その優しいお気持ちに感謝して、滝をテーマに選ぼうと思ったが、この地方は、今年は記録的な渇水状況にある。 近場では、水の溢れている情景を撮影することはできそうにない。ふと、豊根村のみどり湖まで行けば、まだなんとかなるのではないかと思った。(その後、宇連ダムは遂に貯水率二%を切り、深刻な状況になっている。)
 みどり湖は新豊根ダムの別称である。当初は発電専用ダムとして建設が検討されたが、昭和四十三年・四十四年に大洪水災害があり、治水ダムとしての機能も追加された。完成は昭和四十八年である。みどり湖は治水ダムとしては全国有数の大きさだというので、水量が十分あるのではないかと考えた。
 みどり湖には、冬に雪の舞う風景を、春には湖畔の桜並木を撮影しに行ったことがある。しかし、それは、まだ健脚な頃で、ここ十年くらいは訪れたことがなかった。少々不安ではあったが、娘婿が「車を出す」と言ってくれたので、思い切ってその提案にのることにした。
 四月二十八日日曜日。八時半出発。大型連休で道路渋滞を心配したが、幸い、道はガラガラ。雨女と自称する娘がいたけれども、晴天に恵まれ、新緑の美しい国道一五一線を一路北上した。午前十時には東栄町に到着。東栄町と豊根村を結ぶトンネルを抜けると、山肌に張りついたように建つ立派な入母屋造りの邸宅が目に入る。茅葺の屋根である。ここが熊谷家住宅である。奥三河の庄屋のひとつに過ぎなかった、この家を有名にしたのは、前田真三氏である。彼は、この家に逗留し、奥三河の風景を撮り、世間に発表した。前田真三氏が一九八五年に写真集「奥三河」を発表するや、瞬く間に大きな反響を呼び、毎日出版文化賞特別賞という大きな賞を獲得する。これによって、今まで世に知られていなかった、陸の孤島奥三河が一躍注目の場所となった。
 前田真三氏は、現在の東京都八王子市生まれ。一九七一年、鹿児島から北海道への日本列島縦断旅行を敢行し、帰路で美瑛・上富良野の丘の風景に出会う。そこから、この丘の風景を撮り続けた。その彼が一九七七年、奥三河に通い始めた。 私も美瑛の丘を撮影したことがあるが、あの丘の美しさは言葉にならない。それを被写体として選んでいた彼に、奥三河の美しさを見いだせてもらえたことは、三河に住む人間として嬉しいことである。彼は、上高地もテーマに選び、写真集を刊行しているが、その一年後の写真集「奥三河」が彼を一躍「時の人」とならしめた。しかし、 一番有名なのは、やはり美瑛の丘の風景で、彼自身も美瑛にフオトギャラリー「拓真館」を開設している。
 今回、みどり湖へのドライブを企画しているうちに、私は、急に、何回か訪れたことのある熊谷家住宅を思い出し、立ち寄ってほしいと提案した。熊谷家住宅は、十年前くらいに訪れたのが最後だと思うが、変わらない姿だった。道路の反対側からカメラを構えたが、蔵の風情に私は感動した。
 そして、みどり湖に向かった。ここまで来るドライブの途中、私は、ずっと窓の外の川を気にして見ていたが、ちょろちょろと川が流れているだけで、確かに今年は水が少ない。既に豊橋でも節水が始まっているが、渇水が心配である。みどり湖も水が少なかったらどうしようかと心配したが、充分、貯水されていた。名前のとおり、翠色の湖水が美しい。 空 も青く、尚更、湖面は光って見えた。撮影ポイントをさがしながら、ダムの方まで、車を走らせてもらった。幸い、ダム近くに、地面が平らな絶好の場所があった。車を降りて、湖面を見て、微風に揺られてできる波紋に私は注目した。新緑と波紋をなんとかカメラに収められないかと、何回かチャレンジした。鴬の声のする山には、まだ、桜も残っている。もう一週間早く来たら、桜も撮影できたかもしれない。ちょうど平成から令和へと時代が変わる時で、記念のダムカードを発行しているとのことで、娘婿は事務所まで貰いに行っていたが、私は、ダムよりも、波紋と光をうけた湖面の輝きに夢中になっていた。
 けれど、そんな輝いた風景も、少しずつ広がった雲で消え去り、その後も何回か車を降りてみたが、残念ながら先ほどまで目にしていた風景はなくなってしまった。ちょうど降りた地点は、「ヤッホーポイント」と書かれており、山に呼びかけると、やまびこが返ってくると書かれていたので、私も挑戦してみた。最近では出したこともないような大声で呼びかけてみたら、やまびこが聞こえた。娘がスマホで動画を撮ってくれ、孫たちに送信したところ、早速、「いいね」の返信をもらった。きれいな空気の中で、面白い体験をした。
 その後、兎鹿嶋温泉「湯sらんどパルとよね」のレストランで昼食。ここから、茶臼山高原に行ってもらうことにした。 なぜなら、そこには、前田真三氏ゆかりの「高原の美術館」があるからだ。再び、 一五一号線に戻る。ここから茶臼山高原への道は私にとって思い出のあるルートである。それは、桜丘高校の一年生のオリエンテーション合宿で、生徒たちが歩いた道だからである。合宿最終日、十キロの道を、全員で完歩する。そのときに利用したのは旧坂宇場小学校で、桜丘は村からその施設を借りていた。道中、その場所をさがした。さらに北上。旅館清水館の看板を目印に左折する。すると、 大きな像が目に入る。これは、伝説の親王といわれる戸良親王の像で、この付近に、愛知県の県花ハナノキの自生地がある。残念ながら咲く時期ではなかった。ここは川宇連神社の一角である。
 目的地、茶臼山に着く。芝桜にはまだ早いので、ここもガラガラだった。高原の美術館のすぐ前に車を停めてもらった。 私の記憶では、ここでは前田真三氏の奥三河の写真が常設展示されている。ところが、前日から、特別企画展が始まっていた。「美瑛の丘ー拓真館あたり」と題し、拓真館開館三十周年記念展を開催していた。開設のいきさつや、前田真三氏の思いを文章パネルで展開し、息子の晃氏の作品とも組み合わせ、丘の写真の特集をしていた。十五時過ぎにもなると、茶臼山は冷える。展示二日目でまだ訪れる人のない中での客を、スタッフの方は歓迎してくれ、ストーブをつけてくれた。 静かな中で鑑賞できてよかった。写真集も展示されていた。前田真三氏の作品をもっと見てみたいと思ったが、冷えて体が硬直してきたので、断念した。以前、この美術館に来た際に、前田真三氏のポストカードを購入したことがあったので、 今回も申し出たところ、今は販売していないとのこと。がっかりしていたら、スタッフの方が奥から何枚か持ってきてくれた。「始まって二日目に、車椅子で、わざわざ来てくださって嬉しい。好きなだけお持ち帰りください。」と言ってくださった。八枚いただいた。
 実は、このドライブには、娘夫婦が一年半前から飼い始めた犬が同行していた。彼は、犬嫌いの私たちのせいで、キャリーケースの中に閉じ込められ、時々、私が撮影している間、外に出してもらって喜んでいたが、彼が、その日、 一番喜んだのは茶臼山高原だろう。私たちが前田真三氏の世界を楽しんでいる間、娘婿が偶然見つけたドッグランで走り回ったという。犬にとっても幸せなドライブになってよかった。
 帰り道、娘婿に、茶臼山高原から、遠回りルートの根羽方面の道を降りてもらった。私が、原生林や小戸名渓谷を撮影するために度々訪れていた道なので、久々に見てみたかったからである。しかし、かなりの山道で、私たちは暮れゆく山村の風景を楽しめたが、運転をする娘婿には、かなりきつかったのか、家に帰ってから、ダウンしてしまった。申し訳ないと思うが、私としては、もう一度見ることができて本当によかった。
 茶臼山には、いくつか思い出がある。ひとつは、榊原剛氏としし座流星群を撮影するために訪れたときのこと。星は空に出ていたので、流星群を期待して待っていたら、なんと、雪が降ってきて驚いた。もうひとつは、吹雪と闘う老木の姿を撮影したときのこと。このときも突然雪が降りだした。あっという間に大雪になった。その老木は、撮影後一年して倒れたと聞き、更に、思い出深いものとなった。今でも、その写真は額におさめて自室に飾ってある。そして、もうひとつ。森下氏、大竹氏、野畑さん親子とともに、茶臼山高原に訪れたときのこと。大雨に襲われ、国民休暇村に逃げ込んだ。 山に天候急変はつきものと思わせるエピソードばかりである。
 水をテーマにした写真を撮りたいと思って選んだ奥三河であったが、一日を振り返ると、改めて前田真三氏と出会った日になった。日にちが経つにつれ、更に思いは強くなり、彼の写真集「奥三河」を購入することにした。到着するのが楽しみである。

2019年5月19日 記す



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