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2020年3月26日

中高年の健康戦略(1) 富士通川崎病院 院長 行山康

 健康戦略というとものものしいですが、年を重ねていってもどうしたら問題なく幸せに過ごしてゆけるかということを考えてみようとおもったので、少し華々しく題名をつけてみました。黒酢が身体によいかとか養命酒を飲みましょうとか体操が必要などといったことは戦術に属するのでここではふれません。もう少しもとになる考え方についてともに考えてみましょう。
 「生老病死」という言葉があります。この言葉をひとの一生を簡明にあらわすととらえ、生まれてやがて老いて病をえて死してゆくと読んではあっさりとしすぎているでしょう。「生」を生きると読み「老病死」と対として、或いは裏表の関係として読むとこの言葉がぐっと身近になります。この詳しい意味は後でだんだんと説明してゆきますが、大雑把にもうしまして生きるということは老いることも病になることもさらには死ぬことも含んでいるのだ、老いているのか生きているのかと考えれば、生きているというほうを選択しておけば老いているは後ろにひっこんでしまうのだというふうにとらえておきましょう。川崎病院の院長は急に坊さんのようなことをいいだした、医者をやめたのかねといわれても困りますから、まず科学らしい話にもどしましょう。

 「老」
 動物は生きる時間を重ねてゆくとだんだんと外形が変化しさらには基本的な運動能力、餌をとる能力が衰えてきます。人間とて例外ではありません。髪の毛の変化、皮膚の色つやなどの外形変化はもとより、心臓、肺、消化管、生殖器などの内臓も働きが衰えて
は脳の神経細胞は一日に10万個も死んでゆくそうですからこれは大変だとおもうかたもおられるでしょう。しかし心配するにはおよびません。50年間、毎日10万個の脳細胞が死んだとしても脳細胞全体のたかだか10数%程度が失われるにすぎません。それよりも自分が自覚すると否とに係わらず、全身の細胞もまた老化し一部の細胞は死んでゆくということを理解することが大切です。
 最近の老化に関する研究でテロメアという遺伝子が発見されています。このテロメアは2000個ぐらいの同じ遺伝子が鎖のようにつながっていて、年をとるとこの鎖が50個単位で段々と短くなってきます。ところが、ある程度のところまでくるとこれ以上鎖は短くなりません。これはあたかも年を重ねればテロメアが少しづつ減るが、あるところからはこれ以上に年をとりませんよ、とメッセージが送られているような気がしませんか。脳細胞の脱落があっても脳全体としてはわずかに減るにすぎないように、老化が死に向けて直線的につながっているわけではないことに注目しましょう。
 遺伝子のレベルで老化のことがわかったとしても、若返りとか老化を遅らせるということが可能となったわけではありません。外見とか運動機能、反応性だけでなくからだの細胞のレベルでも遺伝子のレベルでも老化してゆくことがわかるようになったということです。
 老化は一生のうちの過程 にすぎないので素直に受け入れ丸めこんで「生きる」ことに重心をおくことが大切でしょう。足腰が弱ったり、痛みがあったり、鏡を見るといかにも年老いた自分がいたりで否応なしにのぼってくる老いの意識には逆らいがたいものがあるかもしれません。しかし、いっぽう、今これをお読みになっているあなたは一日の大半を老いたなどという意識とは無関係にすごしているはずです。仕事の責任とか負担も大分減って若いころよりずっと自分らしく生きているはずです。過去の栄光よりも今、生きているという意識のほうがずっと大切なのです。
 富士通で海外駐在をされたかたから伺った話ですが、そのかたはアメリカ中西部の砂漠の中にあるような町に住んでいました。まわりは緑も少なく索漠としてつまらなかったのではないかともうしあげますと、いやそれは違う、草木も生えない岩山とか荒れた砂漠をみていると何か世界の根源にふれる気がして、心がゆりうごかされる。抽象的な表現しがたい自然の力にとらえられてその中にくつろいだ気持ちになれる。停年後はこの砂漠の中に住みたいとまでいわれておりました。
 年を重ねると家族のため、生活のために生きるから少し離れてより自分らしく根源的なものにふれる生き方が可能となります。 囲碁、将棋、盆栽、書道、絵画などの趣味の活動、福祉などのボランティア活動、旅行などさまざまな方面で豊かな生き方をみいだしておられることとおもいます。その根本はより自由に自分の根源にふれるような生き方を選択しているということで、この豊かさとか創造性は老いて、老いを意識することなく生きることでえられる世界でしょう。
 江戸時代末期の画家、葛飾北斎は「富岳100景」の後書きに次のようなことを書いています。6才のころから絵を描くということにとりつかれてかき続けてきた。50くらいでは画集もだしたが70前に描いたものはとるに足らない。73になって、動物、昆虫、魚などの構造、植物の生育などに悟るところがあった。80になればこの悟りはもっと深まり、90になれば奥義を究め、100になれば神技に達するであろう。110才になったら一本の線、或いは一点をかいても生きているようにみえるだろう。といっております。これを北斎は75才の時に記しており90才まで生きました。
 身体から人の態度から否応なくのぼってくる老いの意識などに負けることなく、老いを生きることの中に統合し、人生の奥義を目指しましょう。(次回につづく)



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