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2020年4月9日

中高年の健康戦略(2) 富士通川崎病院 院長 行山康

 前回、「生老病死」ということばを中心に「生」を生きると読んで「老」を統合して生きることが大切であると述べました。特に葛飾北斎の例をひいて{老」は衰弱でも活動力の低下でもなく、むしろ「生」の進化、深化の過程となることをのべました。今回は中高年の健康戦略における「病」の意味を探ってみましょう。

 「病」
 加齢によりさまざまな病気をかかえることは避けがたいことです。病気にはおおまかにいって2種類あって、自覚症状があるものとないものにわかれます。前者は狭心症、慢性呼吸器疾患、悪性腫瘍などで後者には糖尿病、高血圧症、高脂血症、高尿酸血症などが代表的でしょう。
 健康戦略は「病」においても、「老」のときと同じように基本的には「病」を「生きる」に統合することですが少し異なったところもあります。自覚症状をあまり感じない病気を抱えている場合、「病」を統合しないでで置き去り「生きる」のみにはしると時に問題が生じます。また自覚症状がある病気をかかえているひとは逆に「病」に圧倒されて「生きる」が萎縮してしまう危険があります。
 例えば高血圧症の場合、普段の生活で自覚症状はほとんどありません。血圧が高いことが元気のもとになっているようにみえる方もおります。そうかといってこれを放置しておくととんでもないカタストロフィ(破綻)がくることがあります。日々の生活のなかに、過食を避け、塩分を控えめにして適度に運動も行い、必要があれば薬を服用するということをとりいれることが必要となります。
 画家で漫画家の富永一郎さんは、糖尿病と高血圧をおもちですが70を越えても毎日、
大変お元気に絵を描いておられます。富永さんは地方へ講演にでかけても、講演後、主催者との会食に付き合うようなことはせずに、スーパーで夕食の材料を買ってホテルの自室で済ますそうです。塩分が高いものは水道で塩抜きし、カロリーが少なめのおからとかひじきとかじゃこなどを中心に食事をすまし、またベッドの脇で歩行訓練を30分おこないます。こうしたいかにもまずそうな食事に耐え、退屈な運動にたえるのも、ただ健康な状態でいつまでも絵を描いていたいためで、少しでも長く生ある限り絵を描いていたいという執念にはおそるべきものがあります。
 こうした絵を描くということが「生きる」ことと一体化しているような富永さんでは、いかに絵を描く時間を長くもてるかということが重大な関心事で、そのために「病」を生活の中で自己組織化しているのです。自覚症状がすくない病気を抱えている場合は、病気を意識して生活の中にしっかりと組み入れ、「生きる」を構築してゆく必要があります。
 一方、自覚症状のはっきりした病気をおもちのかたは、たいへん困難な状況におかれております。孤独と不安が支配的になり、寝たきりになってひとに迷惑をかけはなしになったらどうしようとか、ひとりきりになったらどうしようとか不安と苦しみが「生きる」をおおいつくします。痛み、苦しみ、不安、などを感ずるのも生きておればこそという考えもあるでしょうが、人間にとって本来的なものとはいえません。
 「病」を越えて「生きる」を実現するにはどうしたらよいでしょうか。それは「病」と対峙すること、真正面から向き合うこと以外にありません。「病」と向き合ってこそ、これを乗り越え、統合する道がひらけます。
 正岡子規の「仰臥漫録」は子規が脊椎カリエス(結核)で、身動きならない状態の毎日を記した闘病記です。何を食べたとか痛みがひどかった、排泄のことなど日常の瑣末なことを淡々と記していますが、それでいて鬼気せまるようなすさまじい「生」が伝わってきます。これは「病」としっかりと向き合っているためで、喜びも希望もすくない毎日ですが、深いところで「生」とはこういうものだよ、こういうことを含んでいるのだよというメッセージが聞こえてくるような気がします。
 これまで何人かの富士通OBの「病」をえられたかたに 接してしてきました。あるかたは、余命いくばくもないと告げられて、すでに故人となっている奥様との思い出を確かめに北米大陸をひとりでドライブしておりました。あるかたは脳卒中発作の回復後、不自由なからだでボランチア活動に励んでおります。そのほかにも多くのみなさんが「病」をえているにもかかわらずしっかりと「生」を全うしており、本当に頭の下がる思いがします。「病」をえて「生」の意味が明瞭に輝いてくるからでしょうか。中高年となればいくつかの「病」を乗り越えてゆくことは当たり前と思い、恐れずに対処してゆくことの大切さをおしえられます。
 中高年では自覚症状を伴った「病」をえることは避けがたいことかもしれません。痛み、苦しみ、からだの不自由さに「生」が呑みこまれないようにすることは容易でないでしょう。もしそうなった時でも、自分一人ではないという気持ちと深いところで「生きる」を全うしてゆくのだという気持ちで日々を歩まれることをおすすめ致します。(次回に続く)



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