2020年4月30日
中高年の健康戦略(5) 富士通川崎病院 院長 行山康
前回の「食べる」において、食べることの本当の意味を感じよう、そうすれば美食、過食、栄養のかたよりなどは自然とおさまるべきところにおさまってゆくであろうという意味のことを述べました。「眠る」もひとにとっては自明のことのようにも思えますが、人生の三分の一を過ごすわりには、不思議なこともおおいのです。このことは後でしるすことにして、中高年の健康戦略としては「眠る」の健康における意味を探り、究極の目的として穏やかで気持ちのよい「眠る」をいかに実現してゆくかということを考えましょう。
「眠る」の実現に向けた手段、手法(戦術)は、 適度の運動、バランスのとれた食事、入浴、アルコール、場合によっては薬などそれなりに確立されています。案外と忘れがちなことは静かで「眠る」に適した寝室の環境を整え、清潔で気持ちのよい寝具を使用するといった基本的なことです。このようなことは、普段心掛けているかたも多いでしょうが、もし「眠る」の環境に全く無頓着かつ、眠りが浅いとか熟眠できないなどの悩みをお持ちのかたは、この方面の努力から始めてみましょう。
「眠る」には想像される以上にさまざまな意味があります。
「眠る」は宗教家にとっては「食べる」、性行為などとともに人間の本質的快楽のひとつです。禁欲によってより人生の本質に迫ろうとする宗教者は、「食べる」を制限する断食ばかりでなく、厳しく「眠る」を制限したり、断眠を修行の一環としたりします。
夏目漱石は「草枕」のはじめのほうで文明開化社会、産業社会の20世紀には睡眠が必要である。このあたふたとした社会では睡眠と休養が必要ならば、ゆったりとした東洋的詩味の世界(東淵明の詩をひきあいにしています)は貴重であるといっています。すなわち東洋には天地自然と渾然一体となってくつろぐ境地がある。それは単に睡眠によってからだを休めることを超えるものだというのです。ここでは「眠る」は休養とか心身を休めるという意味に関連して語られています。確かに「眠る」は休養に関連性が高いのですが、一晩の「眠る」のうちで4、5回はからだが目覚めているということをご存知でしょうか。
近年の医学の明らかにするところによれば「眠る」には2種類の脳波のパターンがあって、ひとつを「眠る」の脳波のパターンに基づくものとすると、もう一種類は脳波では覚醒しているパターンであり、身体は「眠る」の行動となっていますが、眼球とか手足はぴくぴくと動き、覚醒準備状態とか半ば起きた状態となっています。後者の眠りをレム睡眠といっています。現代の日本は集団レム睡眠をおこしているかのごとき状況、すなわち統合的には覚醒していないかのごとき社会状況ですが、やがて本当の覚醒に到る過程として解釈すべきでしょうか。
余談はさておいて、人間という動物を視点を変えてみると実に不思議な行動をしていることが観察されます。活発に活動していたかと思うと一日のうち三分の一はまったく意識を失った状態で呼びかけても反応しません。ある時間が過ぎるとまた動きだします。しかも、大体まとまって、一斉に「眠る」にはいり、一斉に起きだします。人間集団は「眠る」を中心にして脈打ち、共鳴しているかのようです。
私自身、不思議に思うことは「眠る」によって完全に意識を失って、再び元の自分に戻って何食わぬ顔をしてまた自分をはじめるということです。「眠る」前の自分と後の自分が同一であることはなにによって保証されているのか、このような疑問をもったことはありませんか。「眠る」は生まれてこのかた、あまりにも当たり前に繰り返してきた行為ですから、一般には意識を失う世界にはいることに不安も疑問ももちません。
しかし、時には「眠る」に不安を感ずるひともおります。カフカの「変身」という有名な小説では主人公は、ある朝目覚めると足がたくさんある巨大な毒虫に自分が変わってしまっていることを発見します。この場合では意識はもとの自分ですが体は虫に変身しているところから主人公の悲劇が進行します。
「眠る」という意識を失った状態のときなにがおこっているのでしょうか。目覚めたときもとの自分でなかったらどうしようという不安には根拠があるのでしょうか。
「眠る」によって、覚醒して意識があるときに得たさまざまな印象や情報、観念が整理されます。整理といっても本棚にきちんと収めるような仕方ではなく心理学者によっては、自分の良心の声とか本当の自分が心の交通整理をするといいます。夢にはそうした仕事の断片が出現するといいます。もしそれが本当であれば、「眠る」は確実に人を変えていることになります。
生物の特性として、一時間たりとも一分とも休みなく細胞が代謝をおこなっていることを考慮すると「眠る」の本質は社会的には休養が目的のようにみえようとも、むしろ意識が明らかなときに注ぎ込まれた多くの印象、情報、さらにはそれらを発展させた観念を整理、整頓して新たな情報の流入に備えると考えてもよさそうです。単にシャッフルするのでなく、整理、整頓、新たに自分をつくりかえている作業ともいえます。まさに「日々新たな自分」が「眠る」によってつくられるのです。
中高年にはこの年代だから経験することが多いという特有の精神的負担があります。例えば、身内の不幸、人生の目的の喪失、身体的病気の悪化、その他もろもろです。「眠る」によっても心の交通整理ができずに苦しい夜を過ごすことあるかと思います。それでも「眠る」は新しいあなたを少しずつ、努力というほどの努力なしにつくっているのです。「日々新たな自分となる」ことを確信して「眠る」にはいりましょう。
(この項終わり、以下続く)