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2020年5月21日

中高年の健康戦略(8) 富士通川崎病院 院長 行山康

 「飲む」とは酒、ビール、ウイスキーなどのアルコール類を飲用するという意味で話をすすめたいとおもいます。
 「飲む」ことも煙草を吸うことも趣味,嗜好に属することですが、タバコは健康によくないが、酒のほうは少しはよいようだという印象をもっておられるかたが多いでしょう。確かに,医療関係者は適量の飲酒は健康のためによいと考えています。ただしWHO(世界保健機構)では最近になって飲酒はタバコほどでないが健康に障害をもたらすという報告も出しています。
 健康戦略上は中高年での飲酒はWHOの勧告にもかかわらず適量で度をすごさなければ、血行をよくし気分を爽快にしてよい人生を送る一助になると考えます。ただしアルコールは薬物でもありますから落ち込んだときとか人生の齟齬を生じて苦しいときに慰めとして飲用することはあまりすすめられません。酩酊するほど「飲む」ことは健康障害の危険もまします。また健康戦術にかかわりますが薬といっしょに「飲む」をおこなうことも血圧とか糖尿病の薬の作用を変えるおそれがあるので避けたほうがよいです。
  
 酒を「飲む」はいつと起源が定められないほど古くからある人類の文化です。古事記にもギリシャ神話にも「飲む」はでてきます。
 何故「飲む」ということが人類の生活にはいってきたのでしょうか。人類はこころの発達に関してはほかの生物と大きく異なっています。こころというものをもってみるとこれがなかなか扱いがむずかしい。計画をたてて行動し,種をまいて作物を収穫したり、灌漑施設をつくるような理性といわれるようなこころの働きがあります。また泣いたり笑ったり落ち込んだりするのも心の働きです。無意識といってこころの働きとしてかんじないこころもあります。こころの働きは多面的で十分に解明されておらず、だからひとりひとりの異なった人生があるのでしょう。
 ところで「飲む」に関してはこころに変化を与え明るく大らかな気分にする奇妙な水のようなものとして生活の中に入ってきたことが考えられます。大昔に偶然にみつけられたアルコール発酵した液体が連綿と伝えられ,洗練されて現在のアルコール性飲料となったのでしょう。したがって「飲む」は人類最古のこころをコントロールする方法といっても過言ではありません。
 火をつかう,道具をつかって畑を耕すなど生存のための便利な方法の開発を文明というならば、アルコール飲料はこころをコントロールする文明的手段として生活の中に定着してきたといえます。

 ここで少し見方を変えて何故「飲む」が可能なのかということを考えてみましょう。飲めるやつは飲めるし、のめないやつは飲めない、当たり前のことを気にするなというかたもおられるかもしれませんがこれは案外と深い世界につながっているのです。
 まずアルコールがからだに吸収されるとアルデヒドというものに分解されます。さらにアルデヒドはからだのエネルギーのもとになったり水になったりして分解されてゆきます。すなわち「飲む」ということはアルコールを分解する働きとセットになっているのです。分解できなければ末梢血管は拡張し、気分爽快とか多幸感の程度を越えて苦しくたまらなくなります。日本人の10数%はアルコールが作用するだけで分解されず、つまり酒が飲めない状態です。アルコールが作用したとおもったらすぐ分解される、さらに飲むと作用を終えてすぐ分解される、この繰り返しで「飲む」が成立しているのです。
 アルコールに限らずさまざまなものがからだを通過してゆくわけですが,そういう物質循環が成立していることがすなわち生きている状態でもあります。またあるものは通過しやすいがあるものは少ししか通過しないといったことがひとりひとりの個性であり代謝上のくせになるわけです。

 ところで中高年ではこうした口から身体をめぐって通過してゆく道が狭く細くなってきていることが特徴です。アルコールも例外ではありません。中高年になってアルコールが通過する道は細くなっているにもかかわらず、「飲む」こころが若いときの気分のままで調整されないと、人類最古の気分調節剤が過剰投与になってからだに障害となるおそれもあります。この点が健康戦略上で「飲む」についてもっとも気をつけねばならない点です。すなわち「飲む」は生活習慣のなかにいつのまにか無意識に埋め込まれているこころのくすりですが、中高年ではこころをささえるからだが変化しているので、からだの言葉によって相応に「飲む」をおこなうことが大切です。
 「飲む」にかぎらずこれまで述べてきた「歩く」も「食べる」も同様に中高年の健康戦略上はこころとからだの関係が大切となってきます。若いころはからだに適応性と余力があり無茶な飲み食い,激しい運動などを柔らかく受け止めてくれます。ところが中高年ではからだは正直に衰えを伝えていても,こころは記憶と習慣にしたがいがちで、こころがかっていると身体が無理を強いられることになります。こころをうまくつかいこなして正直なからだとよく相談しなければなりません。しかしこころをつかいこなすのもこころであるという関係ですから状況はますます複雑、困難となっています。
 中高年にかぎらずひとはこころによってこころもからだもコントロールしなければなりません。人類誕生の原初からこころをつかいこなすということはすべてのひとが経験してきたように簡単ではないのです。現代にいたっても、ひとりひとりが根本的にかかえているこころのコントロールの難しさは21世紀の人類のすすむ道の困難さにも通ずるようにおもいます。
(この項終わり、以下に続く)



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