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2020年5月28日

中高年の健康戦略(9) 富士通川崎病院 院長 行山康

 前回の「飲む」の項では人類はこころをもってこの地球に登場して以来、これをいかにコントロールするかに苦心してきたことを述べました。「飲む」はこころをコントロールする手段ではありますがほんの一助にしかなりません。
 夏目漱石の「草枕」の冒頭には「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。…とかくに人の世は住みにくい」という有名な一節があります。明治という新しい時代の枠組の中で生きてゆく上に智と情、意志などのこころのバランスを保ってゆくことの難しさをあらわしています。「人の世は住みにくい」とは西欧文明の洗礼を受けて激しく変化する時代状況におのれのこころをコントロールすることが困難になってきているといっているのでしょう。そして詩、絵画、音楽、彫刻などの芸術は住みにくい世を超えたものがあるといっています。こころのコントロールの意味を正確に定義することはむずかしいですが「智」と「情」のバランスというだけでなく、こころの軸にぶれとか不安がない安定した状態と想定しておきましょう。
 人類が誕生以来、もっともこころのコントロールの頼りとしてきたことのひとつに「信じる」ということがあります。ここでいう「信じる」は神,仏,その他を信仰するような高級なこころの働きから、日々にこころの働きをなめらかにしているほとんど無意識となっているようなことなど、濃淡さまざまな場合を含むことにします。
 「信じる」は意識的な努力なしでいつのまにかこころの働きの一端を担ってこころの働きをなめらかにしています。例えば、自分のからだが存在して生きていることなどはいつのまにか信じていることで、もっとも根本的なことです。今生きていることはふだんは当たり前にうけとめていて意識にものぼりませんが、重病におちいったり、日常の平板さから抜け出すような場面―芸術の感動とか困難を乗り切ったときーなどで生きているということをこころの底から感じます。信じ切って忘れていた自分の命に再びふれるのです。生きていると信じるようになったのは必ずしも生まれつきでもないし、生まれてすぐというわけでもないのです。  
 母親の体内にいるときから生まれて2、3ヶ月経過するくらいは母親と一体の状態を自分の世界と感じています。ちなみに母親もまたこの時期には赤ん坊と一体のような精神状況となるそうです。それがやがて自分に身体があることに気づき、成長するにつれて生きるという言葉を与えられ、身体を介して生きているということを「信じる」ようになるのです。食べたり眠ったり活動したりを積み重ねる中で生きていることばかりでなく、母親、兄弟、自分以外の世界、慣習、食物などいろいろなことを信じるようになってゆくのです。
 特に生きているという感覚に関しては、元々こころもからだも無に近い状態から生じてくるわけですからこの不思議さは五感を超えたところにあり、理屈で納得するのでなく「信じる」と表現するのがよいのではないでしょうか。これを科学的表現として認知という言葉をつかう場合がありますが、「認め知る」よりは「信じる」のほうがずっと心身にしっくりとした表現でしょう。

 中高年の健康戦略では「信じる」はどのような意味をもつか。このシリーズの最初に書きましたような「老病死」が避けてとおれない身近な不安とすると「信じる」はこれらに対抗するこころの力となるでしょう。しかし紙面の制限もあるので宗教とか人生論のようなことは別の機会にして、ここでは健康上の実際的な「信じる」のいくつかについて考えてみましょう。
 まず健康診断結果を「信じる」かですが、健康診断はさまざまな医学上の指標についてからだの状態をチェックすることです。その結果を信じるに値することかどうかは厳密にいうと難しい点もあります。100%これにたよりきるという気持ちをもたなければ信じてよいでしょう。健康診断を運営している立場からすると健康診断結果は新聞やテレビのニュースのようなもので日一日と新鮮さがうしなわれてゆくものです。したがってからだがさまざまな不調の信号を発信しているときに、健康診断結果が問題なかったから心配するのはやめようと健康診断を信じた行動をとることは避けたほうがよいです。健康診断の受け止め方はさまざまでしょうが信じすぎないことも大切です。
 健康診断よりは自分のからだの感覚―自覚症状―を信じる。おれのからだのことはおれが一番よく知っている、本当に具合が悪ければさっさと医者へゆく、というのも一面の理があります。しかしこれにも100%たよりきることはすすめられません。しばしば自覚症状がほとんどなくてかなり進行している病気を健康診断で発見することがあります。とくに消化器系とか代謝系の疾患でかなりすすんでいて、このひとはどうしてなんともなく毎日を過ごせていたのかとおもうことがあります。このあたりは本当に不思議で、胃に穴があきそうなくらい深い潰瘍をつくっていても胃腸系の症状はまったくないなどというひとをみかけたりします。
 またさまざまな健康法を「信じる」ことも意義はあります。黒酢を飲む、紅茶きのこ、山菜、海洋深層水、ビタミン・ミネラルを摂る、風水にしたがう、乾布摩擦、運動、ジョギング、などその他まだまだ沢山の健康法があります。科学的で合理性にうらづけられたことだけを「信じる」べきだとはあえてもうしあげません。
 健康診断,自覚症状,健康法のいずれも完全なものではないので、中高年の健康戦略として「信じる」を十分,吟味し、取捨選択する必要はあります。「信じる」はもともとこころの働きをなめらかにしていますから、ときには取捨選択の過程で不調となることもあるでしょう。それでもそうしたことを超えて、「老病死」にむかって何かを信じて向かってゆく姿勢が大切ではないかとおもいます。
(この項終わり、以下に続く)



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