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2020年6月4日

中高年の健康戦略(10) 富士通川崎病院 院長 行山康

 生物学的には単為生殖とか無性生殖から進化して、生物種が雄性、雌性を示すようになったのは数億年前のことだとされています。またコンピューター上で増殖する人工生物をつくり世代を重ねてゆくと雄性、雌性のような2群の人工生物ができてくるという不思議な話を聞いたことがあります。どうも生物は世代を重ねて進化してくると「オス、メス」が発現してくるらしいです。雌雄への性の分化により生殖という行為を通じて雌雄の遺伝子が混ぜ合わさり、そうして出現する子孫は多様な環境変化によりよく適応できるようになると生物学では説明します。すなわち単純に子孫を残すということだけならば特に「性」の分化など必要ないですが、変化する環境に適応してより確実に種として生き残って行くためには単クローンでは不充分で「性」を通した生殖によりクローンが複雑化することが必要となるのです。したがって日常、目につく生物にはヒトをふくめてオス、メスはかならずあります。オス、メスの数のバランスが適当でないとある種のは魚では「性」はあいあまいになってきて環境の変化によっては勝手に性転換をとげたりするものもでてくるという興味深い話もあります。

 ヒトの場合は「性」は人生におおいなる意味をあたえており、幼少期の性、青年期の性、歴史文化的に形成された性などさまざまな角度からの話題があります。この小文では述べ尽くせるものでもありませんが中高年の健康戦略としての「性」について2,3考えてみましょう。
 通常の人間にとっては一生「性」をかえることはできませんから死ぬまで「性」の健康戦略上の問題がついてまわることになります。
 まず「性」の衝動とか欲求は命果てるまでひきずってゆくものです。といっても年を経るにしたがって「性」は無意識の底に解けてしまっているとおもわれているかたも多いでしょう。しかしほとんど「性」というものを意識しなくとも「おじいちゃん、おばあちゃん」であることをやめることはできませんし、時には「性」を意識し異性を求める気持ちが生きる力の一部となっていることも否定できません。この間の事情が谷崎潤一郎の「瘋癲(ふうてん)老人日記」にユーモラスにかかれています。また意識不明になった脳血管障害の高齢男性の隣のベッドに高齢の女性の寝たきり患者を寝かせておいたところ、脳血管障害の患者は信じられないような回復をみせたということも医療関係者で語り伝えられています。すなわち「性」は意識の上でも、無意識的にも生きる力の一部となっているとかんがえられます。
 フランスの女性小説家ボーボアールは「女は女性として育てられる故に女になるのだ」といい、社会環境的歴史的文化的に性を差異化する機構が存在することを指摘しています。これは、大昔に農耕が人類社会に導入されるようになって以来、人間社会では「性」の差異は生物学的に認められるばかりでなく、社会機構のなかで強化、発展してきたことを意味します。男は男の役割をもち、男性だけが「性」を超えた人間になるのではないということはいうまでもありません。ところで中高年になると、現代日本では社会的に形成された「男性」性はやっかいとなる場合もあるので要注意です。
 介護保健法が施行されるようになっていらい、日本の各地に「通所サービス」とか「デイケアー」といった日帰りの介護施設が増えています。通常は朝、施設のバスが地域をめぐって一日介護を受けるひとたちがつれてこられます。そしておしゃべり、編物、折り紙、カラオケ、昼食の給食、囲碁、将棋,午睡、入浴などで一日を過ごしまたバスで送られて帰宅します。
 一日30人程度を受け入れる介護施設を見学したことがあります。女性の通所者は70になっても80になってもおしゃべりをして、おやつをたべ、編物をして20人くらいでにぎやかにからだの不自由をものともせず、通所サービスを楽しんでいます。男性で通所サービスへ通ってくるひとは2,3人、多くても4,5人で女性にくらべて圧倒的にすくない。しかも、男性の通所者は決められた席に凝然とすわっていてうちとけて互いに話し合うこともあまりしません。日本だけ、或いは小生が見学してところのみの現象の可能性もないではありませんが、関係者によるとほかの介護サービスの施設でも同様の傾向があるそうです。こうした男性の姿に社会人として家族を守り、養ってきた厳しさをみるおもいがしますが、一方で年を経ても男と女はどうしてこうも違うのかという念を禁じ得ません。
 最近は看護婦、保健婦が看護師、保健師などとなり、男女同権の実質化をめざす動きもさかんです。しかしいくつになっても男として刻みこまれてきたもの、女として刻み込まれた年月には圧倒的差異があります。うちとけて誰とも気軽におしゃべりできたほうが人間的ともかんがえられますが、孤高に過ごすことも「男性」性を超えた人間的姿かなともおもいます。
(この項終わり、以下に続く)



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