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2020年6月4日

日々雑感 第三十五話 及部十寸保

第三十五話  「飯田の桜」
            
 今は、二〇二〇年五月、ゴールデンウィーク。新型コロナウィルス流行による緊急事態宣言が出され、日本中、外出自粛が求められている。楽しみにしているデイサービスも休業、毎年ゴールデンウィークには、県内に住む娘夫婦や県外にいる孫達が訪ねてきてくれるが、今年はそれも叶わず、淋しい中、老夫婦二人で頑張っている。愛知県の緊急事態宣言は延長されるという。三月に飯田に出かけたときの写真を眺め、早くこの事態が収束することを願うばかりである。

 花といえば桜。厳しい寒さを越した人々にとって野山に待ち望んでいた春がやって来る。春の花を代表する桜ほど愛されてきた花はない。ギャラリー亜鳥絵恒例の企画展「さくら 櫻 サクラ」展への出品を目指して、今年の桜を撮っておきたいと家族と相談した。今年の桜は大変早いという予測だったが、豊橋ではまだ咲いておらず、どこに行けば桜に出会えるのか見当もつかなかった。また、娘達のパートの休みが一致する日も少なく、日帰りでどこなら行けるのか、話がなかなかまとまらなかった。いつもは上の娘があれこれ見つけてくれるのだが案がないらしく、困り果てていたところに、下の娘が、「実は去年下見に出かけておいたのだけど。」と「南信州飯田の桜」という冊子を持ってきてくれ、天龍峡がいいのではないかと提案してくれた。シダレザクラが咲いているかもしれないとのことで前日に行先がようやく決定した。幸いにもコロナ禍による外出自粛が世の中で言われ始める前だったので、孫の一人が、運転のため急遽駆けつけてくれた。その夜、報道ステーションを妻が見ていたら、「飯田のシダレザクラが満開です。」と紹介していて、大急ぎでメモをとってくれたらしい。当日の朝の相談で、先に飯田に行ってみようということになった。
 飯田に行くルートとしては国道一五一号線があるが、運転する娘と孫が「山道は避けたい。」と言うので、少し大回りのような気もしたが、高速道路で行くことになった。豊川インターから東名に乗り、分岐点で何回も確認しながら、東海環状自動車道から中央自動車道へと無事乗り継いだ。この日は素晴らしい晴天に恵まれ、遠く南アルプスや中央アルプスの山頂の雪が美しく光り輝いていた。上の娘の大好物であるという恵那インターの五平餅も車中で食べ、病も忘れ、明るい気持ちになった。高速道路で来てよかった。
 出発から二時間半で飯田に到着した。この飯田は私の大好きな町である。戦後の一九四七年(昭和二十二年)の飯田の大火以来、豊橋との交流が続いている。青陵街道の夏みかん並木を育てる地元の中学校と、りんご並木を育てる飯田の中学校との交流など、あちらこちらにその歴史がある。特に、最近では、東三河の「合唱劇カネトを歌う合唱団」の活動によって、以前と比べようもないほどに交流は緊密になっている。
 「カネト」はアイヌ人だからと蔑視されながらも、日本一の難工事と言われていた飯田線を見事完成させた測量士カネトの物語である。不屈の精神力と優秀な技術を持ったカネトの心揺さぶられる感動の実話を、藤村記一郎氏が合唱劇にした。初演は二〇〇〇年(平成十二年)十一月十二日、豊橋勤労福祉会館で行われた。十三回にも及ぶ演奏会がもたれ、飯田市文化会館でも公演された。私はうたごえ運動に少しばかり関与して、飯田についてはよく知っていたつもりでいたが、「全国でも稀な名桜の宝庫」(「桜守」の著書水上勉氏の言葉)とは知らなかった。樹形の美しい一本桜が町の随所に見られるとのことだ。それが、時期をずらして咲き、南信州の小京都飯田に春の訪れを告げる。実際、あちらこちらに手入れされた桜が見られ、気持ちが自ずと高まってくる。飯田に一本桜が多いのは、飯田城初代藩主脇坂安元、二代目安政が植樹を奨励したことによると言われている。
 妻がテレビで見たのは雲彩寺という名前だったというので、そこをナビに入れて目指したが、近くまで来たところで、道を間違えてしまった。しかし、それが幸いしたのである。私達は見事な桜に出会えた。その場所は経蔵寺。誰もいない駐車場に車を停める。駐車場のすぐ前の山門の左側にエドヒガンザクラ。右側の本殿前のシダレザクラと美を競うかのように咲き誇っている。樹齢三五〇年。山門は、飯田城桜丸の遺構で、桃山時代のもの。飯田市指定の文化財だそうだ。あまりの美しさに、一同感嘆の声をあげた。夢中で撮影した。気がつくと、もう一台車が入ってきていた。大きなテレビカメラで撮影しながら、なにか呟いている。長野放送飯田支局の記者だという。取材協力を頼まれたので、車椅子に座ったまま、私は、質問に答えた。
 もう一度地図を見直して、目的地の雲彩寺に到着。飯田城桜丸にあった西門が移築されていて、その後方にシダレザクラが咲いている。古い幹と新しい幹があることから、「添い桜」とか「寄り添い桜」とか呼ぶ向きもある。樹齢は二〇〇年とも三〇〇年とも言われている。いずれも見事な桜で、この日に訪れたのは正解であった。小さいが、勾配のある境内で孫が一生懸命車椅子を運んでくれた。感謝している。
 ここで少しばかり、最近仕入れた桜の花の知識を披露しよう。シダレザクラは、実はエドヒガンザクラの園芸種である。圧倒的に種類が多いのは山桜であるが、山野を埋め尽くすようになったソメイヨシノは、今まで江戸末期に江戸の染井町の植木職人が売り出した品種であると言われてきた。しかし、最近の研究によると、ソメイヨシノの発祥は、江戸ではなく伊豆半島で、オオシマザクラとコヒガンザクラの交配種ではないかという説になっている。桜にはこの他、マメザクラやチョウシザクラ、エドヒガン、ミヤマザクラなどがある。
 さて、私達は飯田高校・飯田女子高校を通りすぎ、飯沼神社を目指すことにした。三〇〇段の石段があって、その両側には樹齢一二〇年から一五〇年のエドヒガンザクラが咲いているという情報が冊子に載っていたので行ってみたが、歩行器・車椅子利用の私には近寄れなかった。しかし、訪れる人の少ない二つの寺で、桜を堪能した私達は大満足であった。飯田の街も穏やかで、私は更に大好きになった。
 帰路、天龍峡に立ち寄った。飯田線の天龍峡駅周辺はのどかそのもの。春の風景と飯田線の車両をカメラにおさめられないか捜してみたが、見つからず断念した。ゆったりとした川の流れに浮かぶライン下りの舟が見える姑射橋付近の広場も、風爽やかでとても気持ちがよかった。しかし、橋の上に登って、反対側を見ると、奇岩や巨岩がそそりたち、渓谷美に圧倒された。その日は三月とは思えないくらい暑い日で、売店で買い求めたりんごジュースが美味しかった。残念ながら、天龍峡の桜は見頃前であった。満開になったら、さぞきれいだろうと想像しながら帰途についた。日本列島のど真ん中にあって、南アルプス・中央アルプスに挟まれた南信州の桜をたっぷり楽しんだ一日であった。

「飯田の桜」 2020年5月6日 コロナ・ウィルスで引き続き外出自粛の中 記す



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