2020年7月30日
中高年の健康戦略(18) 富士通川崎病院 院長 行山康
「別れ」は日常的に経験することで軽く「さよなら」と言って済む場合もあるし、人生の節目にあらわれて大きな健康上の問題となる場合もあります。
転勤のためにもとの職場と別れる、住み慣れた土地と別れる、過去の自分と別れて新たな出発をするなどから、古い上着や寂しい夢と別れる(青い山脈の歌詞)、20代の自分と別れるなどさまざま別れの形があります。
「別れ」はこのように日常的なことです。ほとんどの「別れ」の経験は樹上を風が吹き渡るように何事も無く過ぎ去ってゆきます。しかしときには「別れ」がおおきな衝撃となって健康と人生全般をおおうことがあります。犬や猫など、ペットが死んで立ちあがれないほどのショックを受けている方を何人もみかけてきました。まして 親しいひと、身近なひととの永遠の「別れ」は言葉に尽くせぬほど大変なことです。
長年連れ添ったひとに先立たれて、残されたものにがんの発生率が異常に高いということが統計上で明らかにされており健康戦略上、無視できません。これは精神的衝撃と身体の障害が深いところでつながっており、単なる身体不調感を越えて、「別れ」が健康に影響を及ぼす証拠ともいえます。
また高齢となってとなって毎年、すこしづつ同級生や知人がこの世を去ってゆくことが、ボディーブローのように効いてくることも「別れ」による健康障害の形です。
「別れ」には喪失感をともないます。なくしてさびしいと言う気持ちであり自分の一部が欠落する意識です。古い財布とか定期入れと別れるくらいではさびしい気持ちもほんの一瞬かもしれませんが、住み慣れた家との「別れ」などということになると、大事なものを失うという気持ちは一層強いでしょう。
私の経験ですが、関東大震災、終戦間際の空襲などで焼け残った我が家を立て替えるときは家が壊されるまではぐずぐず、もやもやした「別れ」を惜しむ気持ちでいっぱいでした。取り返しのつかないことをしてしまったのではないかという漠然とした不安も感じていました。
しかしすっかり壊されてしまい更地となるとむしろすっきりした気分になりました。新しい家を建てるという期待感に気持ちが傾いていたからでしょうか。
「別れ」はさびしく苦しい場合もあるのだが必ず次のステップ、すなわち新たな出発があるんだなということがわかってきます。
「別れ」と新たな出発は対になって結節点をつくっていて人生はその結節点をひとつひとつ辿ってゆくようにみえます。卒業、就職、結婚など結び目から結び目へと歩みながら人生が過ぎてゆきます。失敗や成功、定年、退職、子離れなどつねになにかと「別れ」と新たな出発をおこなっています。
それでは突然の急逝のような衝撃的な「別れ」が健康の全てを奪ってしまうような事態のときはどうしたらよいでしょうか。
高校の頃の友人で奥さんをがんで亡くされた I 君は区の音楽ホールを借り切ってメモリアルコンサートをおこないました。彼は商社を退職した元サラリーマンで資産家でも音楽家でもありません。転勤した土地々で所属した合唱団を全部招いて、奥さんが好きだった歌を歌ってもらったそうです。費用は奥さんの生命保険で全部使い切る気持ちでやったといいます。
このように「別れ」から新たな出発へむかうために自分の方法でけじめをつけるかたもおります。けじめとは心理学では喪の儀式、悲しみの儀式であり、社会一般には葬儀とか法事といったことでしょうか。
しかしながら衝撃的な「別れ」に問題なく対処するための万人に通ずる処方箋といったものはありません。けじめが大事なのですが、けじめをつけるようにこころと身体が動いて行かないようなことがあるのも事実で、小生も経験しているところです。
それでも「別れ」は新たな出発の起点となっていることはいつも意識しなければならないでしょう。「別れ」という結節点の中にいるということを自分に言い聞かせ続けることが大事です。
「別れ」には「智」でも「理」でも制御しがたいような部分もふくまれます。そうしたことは健康戦略の対象外かもしれません。「別れ」の形の一部は中高年の健康戦略の対象外なのだということを知っておくことも健康戦略のひとつなのでしょう。
(この項終わり、次々回にて終了)