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2020年10月14日

居なくなる 佐藤東洋麿(横浜市)


 深夜の机上で私はいま一枚の写真を見ている。昨年の忘年会で店の人に撮ってもらったもので、六十数年まえに同じ高校を出た七人が写っている。横浜中華街の「彩香新館」という店を予約したのは、前列の真ん中にすわっている植原茂之だ。痩せた右肩を下げ、顔はまっすぐまえを向き、私と同じように禿げあがった頭の両横から白髪が乱れて落ちている。唇はしっかり結んで、かすかに微笑んでいるようにも見える。
 あれからおよそ四か月が経って、いつものメールチエックをしていると、見知らぬ名前の人から【父植原茂之儀】ご報告、が目にはいった。「父は心不全にて八十一歳で永眠いたしました」という文面を見て、あ、やはりだめだったか、と心にズシンと響いた。忘年会から二週間も経たずにもらった賀状の追伸に、小さな文字で彼らしい正直で詳細なメモが綴られていたのだ。
 脳梗塞発症時に前立腺肥大の手術もし、腎臓は片方だけ使える非常事態で推移、結果過度の負荷を与えつづけ、昨年秋にうっ血性心不全で救急入院、現在は通院してリハビリ生活です。
 もっとも彼は忘年会で会ったときには、こうした状況を決して口にしなかった。ちょっと調子悪いから酒はノンアルコールにするかな、と元々飲めない私とふたりだけノンアルのビールにしたのだった。ときは楽しく過ぎていき、アメリカの大統領のことやら、遅刻坂のことやら。メトロの赤坂見附駅を出て広い通りを渡ると、かなり急な坂がある。それを登りきったところに私たちの高校はあった。朝ギリギリの時間に坂をせっせと登るので、誰が言いだしたのか、遅刻坂と呼んでいた。みな忘れていない。
 歴史が古い学校のせいか私たちの同窓会組織は、財団法人星陵会として四階建てのビルまである。その四階は大広間になっていて、そこで二年に一度くらい同期の者が立食パーティをしながら集うのが常だった。しかし十年くらいまえからポツリポツリと他界したり動けなくなったりするメンバーが出てきたので、せめて横浜あたりで集まれる者だけで同期会をやろうよ、と言いだしたのが植原だった。
 年に二回くらいの彼からのメールを、私は心待ちにしていた。学校の大先輩には、夏目瀬石、谷崎潤一郎など偉大な人物が多くいる。平々凡々の自分たちには関係ない。たまにどこかで酒を酌み交わして他愛もないことを談笑しよう、と考えたのだ。ひとの言うことはよく聞いてくれる男だったから、私が忘年会はぜひ中華街にして、とメールすると、「佐藤さんたってのご希望で」とほかの皆に知らせて彩香新館にしてくれた。
 私が見ている写真はそのときのもので、右下にはっきり「2019/12/18」と刷りこんである。彼はまた半端でない読書家だった。ホームページを作っていて、開いてみると十段ほどの本棚がぐるりと四方を囲み、つまりドアを開けると一室全てが書庫なのである。今年の賀状の書き出しはこうだ。「クリントンの敗戦の要因を時系列で分析した面白い J.Allen & A.Parnes Shattered という本があります」
 そしてこの書物の内容を要領よく十行にわたってまとめている。太い印字で二〇二〇年元旦、としてから ポイントを下げて「脳梗塞発症時に前立腺肥大の手術もし」と続けたのである。死ぬすぐまえまで世界を思い自己を注視する、私にはとてもできない。詩人アルチュール・ランボーのように、マルセイユの病院で悪性腫蕩の右脚を切断するほどの痛みに耐えて名作を生みだすなど、想像のはるか彼方だ。
 私なら痛い、痛い、あ、漏れた、看護婦さーんオムツ、オムツ、と泣きわめくに違いない。事実、眼の手術をしたとき、動くと危ないですよと医師に言われていたのに「ア痛っ」と身体を動かして叱られた覚えがある。
 植原が居なくなると、もう横浜の集いはなくなるのではないか。かすかな寂寥感がどこからか湧いてきて身をつつむ。それなら自分が世話人をやればいい、と言われても、何人かの都合を聞きなるべく多くが参加できるように計らい、店をあたり予算を決めてまたみなに呼びかける、こうした事務処理を、現役のころはだれもが何十年もしてきたのだ。定年退職して耳も遠くなって電話でのやり取りも若いときとは異なる。そう簡単に幹事役は務まらないのである。誰かがお膳立てをしてくれて知らせをもらう、さてどうしようかな、と気楽に考えるのが快いのだ。
 むろん八十超えとは思えないほど元気な仲問もいる。荻野鐵人などは、東京の広尾と愛知県の豊川市に大きな病院を持ち、本人は医学博士でベーチェット病などの専門家で、自ら臨床医として両院で実際に患者を診てもいる。
 健康の秘訣は?と聞くと年に九十日以上のゴルフ。あぁ植原にその十分のーでも分けたかった。でも居なくなるのはやむを得ない。みな居なくなるのだから。宇宙のどこかで意識の細い糸がからまりあうように漂うのも楽しいではないか。

《 随筆春秋 2020年 第54号 》



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