2020年10月15日
中高年の健康戦略(21) 「どちらを信じるか(上)」 富士通川崎病院 院長 行山康
健康診断で明らかになることと、親から授かり自分のものだとおもっているからだの実感とは必ずしも一致しません。この問題はしばしば、皆様が現実に直面する問題なので少し詳しく論じてみましょう。
たとえば、血糖値が高くあなたは糖尿病の治療が必要だといわれ、とりあえず薬をきちんと飲みなさい、運動は毎日30分、食事は主食を半分になどと指示されたとします。日々に感じるからだの実感がないと、右から左に生活習慣をかえること抵抗を感ずることでしょう。
それでも糖尿病では少し病状がすすむと、からだがだるい、のどが渇く、何回もトイレにゆく、尿量が多いなどの症状が出現するので自分の身体が普通でないことを自覚して治療ということに関心が向くかもしれません。
からだの調子が悪ければ何とかしようと言う行動をとることは自然です。しかも糖尿病は放置しておくと目、腎臓、心臓などが悪くなるということは知識としてよく知られています。たとえ症状がほとんどなくともなんらかの対処をしようと思うでしょう。
ところが高脂血症という生活習慣にも関連し、血液中の脂質成分が高くなる状態があります。いわゆるコレステロールが高くなる状態で自覚症状はほとんどありません。
検査結果の数字によって、薬を飲むとか食事の内容をかえるとか、日々の運動で対処する、などが判定されます。いわば数字だけで操作されている病気(?)ともいえます。自覚症状が出現するのは心筋梗塞とか脳梗塞のような疾患として新たな段階に達したときです。
未来におこるかおこらないかわからないが、今は予防策をとらねばならない、毎日の忙しい生活の中で自分のエネルギーの一部をそうしたことに割かねばならない、はてどうしたものかとまず考えるでしょう。簡単であたりまえのようなことにもおもえますが、現実はそれほど簡単ではありません。定期的に医院とか病院を受診しなくてはならないし、毎日薬を飲むなどということをも忘れずにおこなってゆかねばならない。医療機関に行くというだけで胸苦しさを感ずるひともいます。こうしたことが初体験であればますますハードルが高くなります。毎日元気で過ごしているのに何故急に生活を変えねばならないかと疑問をもつことになります。
しかし大部分のひとはこうした問題は医者のいうことを100%とはいわないまでも70,80%ぐらい聞いてしたがっておればよいだろうとそれなりに対処します。
心臓病だ、脳血管障害だといわれても今日、明日と言う問題ではなさそうだし、少し気をいれかえて運動の習慣をつけ、食事スタイルを考え直してみるかということになるでしょう。
しかし時にはもう少し深刻な問題にぶつかることがあります。健康診断で悪性腫瘍が発見され痛くもない腹を切るなどという事態になったときです。この場合はまったく自覚症状がないのに、病院に入院し、苦しい検査を受け、自らの意志で親から授かった身体を切り開いて病巣を取ってもらう覚悟が必要となります。富士通の健康診断では毎年、数人のひとがこのような事態に該当しますが、本人は突然降ってきた災難に、当惑と時には怒りをもちます。
大部分のひとは自分のからだには自分が責任をもって対処してゆきたい。自分のからだのすみずみまでわかって感じているのは自分しかいないと考えています。健康診断の結果で生活行動をかえねばならないことは自分が責任をもってはたしてゆかねばならことです。実際に糖尿病や高脂血症ではそのように対処して問題をクリアーしてきました。しかし腹を切ると言う事態になるとハードルの高さが違うと感じるでしょう。例えば外科的処置として手術が必要などということになったら怖いとおもっても不思議ではありません。
現代はいうまでもなく科学文明の時代です。毎日の便利な生活は科学と技術の進歩によってささえられています。われわれは科学技術がもたらしたさまざまな産物の海を漂いながらその恩恵を享受しています。健康診断の結果は物理法則ほどの厳密さはありませんが、科学の成果の一端を示しています。我々は科学を信じるに足るものと考えています。何故ならば科学は合理的で納得できる世界を示すからです。
しかし科学が明らかにする世界と生きることの実感が必ずしも一致しないことも事実です。例えば毎日踏みしめる地面を平らと体感していますがだれも知っているように地球は丸いです。NHKの朝のテレビドラマで宇宙飛行士を目指す女性の主人公が「丸か地球をこん目で見てみたい(鹿児島弁)」といいます。大地を踏みしめる実感をたいせつに生きておればこそ、地球が本当に丸いのであればそれを実感してみたいとおもうのでしょう。
健康診断による健康評価では指摘されることを実感してはじめて納得できるはずですが、どうもそのようにならないことが問題です。
大部分のひとにとって心身は一体なので身体を意識しないで過ごすことが出来ればおおむね健康です。また体調が悪ければそれなりに自分で判断して合理的に行動することが可能です。手術をしなければならない事態があるのならば、身体が切実に訴えてくるはずだと信じています。
そうすると自分の実感を信じるのか、それとも医学的真実を信じて行動するかという選択を迫られることになります。この「どちらを信じるか」という問題は現実には、ほとんどの場合さまざまな逡巡を経て医療的処置を選択することになるでしょう。その場合どのような戦略的考慮が必要かについて次回で述べたいとおもいます。(次回に続く)