共立荻野病院コラム詳細
TOP > 共立荻野病院コラム一覧 > 中高年の健康戦略(22) 「どちらを信じるか(下)」 富士通川崎病院 院長 行山康
  • 診療科目一覧
  • 内科
  • 胃腸科
  • リウマチ・膠原病科
  • アレルギー科
  • リハビリテーション科
  • 診療時間
  • 月〜金 午前9:00〜午後12:00
    午後3:00〜午後6:00
    土・日・祝日・年末年始・夏季
    (3日間)
  • 月〜土 午前9:00〜午後4:00
    日曜・年末年始
  • 月〜金 午前9:00〜午後5:00
    土・日・祝日・年末年始・夏季
    (3日間)
  • 院内のご案内
  • 医師紹介
  • 共立荻野病院デイケアセンターフラミンゴ
  • 住宅型有料老人ホーム プメハナ

2020年10月29日

中高年の健康戦略(22) 「どちらを信じるか(下)」 富士通川崎病院 院長 行山康

 前回に健康診断が示す内容とからだの実感が一致しないときどちらを信じたらよいかということを述べました。
 現実には医療の側は自分のすすめるプログラムにしたがってほしいなと考えます。当事者には真剣に取り組むかたもおれば、そこそこにつきあっておこうというかたがおります。ところがこの問題の根底にはときに、自分の存在にかかわるような厳しい判断を迫られる場合もあることを指摘しました。
 例えば健康診断の結果、大掛かりな検査とか手術のようなことが必要となった場合です。特に身を傷つけるような(医療上は「観血的」といいます)措置が必要な場合は、あいまいな判断とか中途半端な行動は許されません。
 どのような健康戦略で対処するべきか。

 まず医療上の常識にしたがって,手術とかそのほかの厳しい処置を受け入れて、危険にさらされている自分の健康を回復してゆこうという方向に、少しだけ、心が傾いているとします。そうした場合は、自分はなんともないのにという気持ちをひきずりながら医療上のプロセスをたどることになります。例えば血管撮影のような検査では腕とか股の動脈に管を入れて造影剤をいれ、レントゲン撮影をします。簡単な検査ではありません。大事なからだにメスをいれ、異物をからだに挿入し、ときには危険をともなう造影剤を注入したりします。そうした検査を受けて、場合によっては、現在の状態より健康でなくなる可能性があるとわかっていても手術を納得するには、自分は自分の未来を賭けていると思う必要があります。
 現在、元気溌剌である自分を捨てて危険を伴う医療行為に身をゆだねる事がどうしたら可能か。これを深く考えてみると、からだの実感と理性、知識によって示される世界の間にある間隙を超える作業であることがわかります。或いは主観と客観の間隙といういいかたもできます。この間隙をぽおんと飛ぶ勇気を与えてくれるものは、より健康的な自分の未来に対する期待です。

 自分の生存本能も根底にはあるでしょう。しかしそれだけではありません。家族のためにとか自分の仕事をより安心して続けるためにとか、自分の果たしている役割をまっとうしてゆくためになどさまざまな思いがあるはずです。ひとはひととのかかわりあいの中に生きています。自分が安定して健康を保たなかったら、この会社はどうなるのか、この国の将来は?と感ずるひとがいるかもしれません。それほどでなくとも、子供がひとり立ちするまではとか、からだの不自由な家族がいるからここは是非ともどんな苦しい思いをしても将来の健康を確保したい、と思うかたもおるでしょう。
 かけがえのない自分のからだは自分ひとりのものではなく、多くのひと、もの、組織もかかわるということがわかってきましたね。
 自分の生存本能から、現在は元気でも自分ひとりの将来のために検査とか手術を我慢しようというのでなく、自分の健康は自分だけものでないという強い動機も健康戦略の一部を担う事が、理解されるでしょう。

 ところで「どちらを信じるか」のもうひとつの道である、現在元気である自分をあくまでも信じてゆくという方向はどうでしょうか。「信じる」ということは自分が正しい道を歩んでいるということを実感することです。
 自分はまったく健康に問題なくすごしているので、健康診断がなんであろうと問題にしない。不具合が生じたらそのとき考えればよいさというスタンスになるでしょうか。禍根のおおもとなっている健康診断を何故受けたのかという問題はさておいて,自分のからだの声に正直になって、自分のからだには自分が責任をもつ、自分はこの道をすすむのだという態度は立派で、すがすがしさがあります。
 しかし、こちらの道を選択するとしても超えねばならないことがあります。それは当然のことですが、自分のからだに不具合が出現したときは相当進んだ状態になっていたり、回復不可能のこともありうるということ、もしかすると勝ち率が低い賭けにのるのだということを自覚しておく事が必要です。この多少の不安に対して、自分は信ずる道を歩んでいる、迷いはないのだと心の底から思えることが大切です。
 面倒くさいとか、こわい、経験がないことにはかかわりたくないということからこの道を選ぶことは許されません。
 中高年になれば、健康診断でなんらかの異常が指摘されないひとは珍しいです。また看護師、保健士,医師などの医療担当者によって健康診断結果の解釈が異なる場合もあります。そうすると、毎年指摘されることは気にしない、自分の実感を大切にしようとおもうかたがいても不思議ではありません。

 スピード感のある現代生活では健康であるという実感が歪められがちです。仕事、趣味,家族、社会の仕組みの複雑化などさまざまな要因が、しみじみと自分の体調を味わう機会を奪います。「どちらを信じるか」などと立ち止まって考える前にすいすいと自分の道を選択しているかたも多いことでしょう。「健康」に関する選択などは人生のさまざまな選択のごく一部でしょうが、ひとつの選択には違いありません。
 「どちらを信じる」にしろ、自分の未来を賭けているので、十分な戦略を持って対処して、悔いのない人生を送りたいものです。(この項終わり、次回に続く)



共立荻野病院コラム一覧へ戻る