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2021年1月29日

中高年の健康戦略(26) 「スピリチュアリティ(その2)」 富士通川崎病院 院長 行山康

 前回、健康の要件として、身体、精神が良好で社会的適応状態に問題がないこと。さらに「スピリチュアリティ」が良好であることが健康の必要条件に付け加えられる動きについて述べました。スピリチュアリティはわかりにくい概念であり、国とか民族によって理解に幅があることについてもふれております。
 今回は中高年の健康戦略にスピリチュアリティがいかなる意味をもつかについて考えてみましょう。

 中高年の健康戦略(19)で「時間」ということについて書きました。時間には物理的時間と「自分の時間」がある。中高年では生物としての終わりを意識しがちで、すなわち残された物理的時間を気にしがちとなるが「自分の時間」を大切にしようという意味のことを述べております。
 確かに中高年は人生の最終章へ一日一日と近づく生を生きている。人間を生物とみて客観視すればそういうことが言えます。しかし、物事に打ち込んで、老い先の短さを忘れている人もいます。70歳になって世界の最高峰を極めるかたもおります。通常は、時には時間を忘れた「自分の時間」をもち、時には我に返って残された時間の短さを意識するといった両方の目をもっています。
 スピリチュアリティは「霊性」「魂」と訳されるように、時間意識を超えた根源的状態です。我を忘れた「自分の時間」であっても、時間を意識している自分であってもスピリチュアリティが働いていています。
 健全な社会生活を送り「自分の時間」を主に生きているひとに関しては、スピリチュアリティは問題なく良好といえるでしょう。自分を客観視し、物理的時間の少なさを意識し過ぎたとき、いかなるスピリチュアリティをもてるかが問題です。

 人生の黄昏を感じ、うつ的気分になったり、本当はやりたいことがいっぱいあるのに、年だからと言ってあきらめてしまう。徹底してあきらめるとみえてくるものもあるが、中途半端であると、いたずらに煩悶を繰り返すことになり、妙に愚痴っぽくなる。これは良好なスピリチュアリティとはいえません。
 スピリチュアリティは統合され澄んだ快い感覚であるべきです。こつこつと目的に向かってすすむとか、自分の来し方を整理するといったことが理想なのです。しかしともに中高年を歩むものとして、現実の生活意識は必ずしも理想どおりにはゆきません。ひとはそれぞれに執着と制約が多いのです。それは良好なスピリチュアリティへ達することの妨げになるかもしれませんが、それが普通人の在り様ともいえます。

 中高年では悪性腫瘍とかアルツハイマー病、腎不全など治療困難な病気の宣告を受けることもあります。国民の3分の一は悪性腫瘍が原因で死亡に至りますから、いつかは経験することとおもってもよいでしょう。
 治療不可能となった疾患の先にある医療を緩和医療(特に悪性腫瘍)といっています。
 医療はもともと病気のひとを治すこと或いは治そうとすることが前提ですから、本当は医療と言い難い面もありますが、こうした状況でのスピリチュアリティが注目されています。
 治療不能を申し渡された当人には、おおまかにいって4段階の気持ちの変化があるといわれています。まず治療法がないと宣告されると通常は怒りの感情が湧きおこります。何故自分だけがこの世から去らねばならないのか、そんな理不尽なという気持ちで一杯になります。
 色々と手を尽くしてみようと、セカンドオピニオン、サードオピニオンを求めて走り回り、文字通り必死にさまざまな治療手段を探します。
 しかし、結局さまざまな方法を尽くしても助からない、病気をどこかへ捨ててくるわけにはゆかないと悟り、病気を引き受ける決心をする段階にきます。はっきりと決心してしまうと限られた残りの時間を人間らしく有意義に生きようとします。
 この段階に達すると、人生は病気になる前よりは凝縮され、世界が輝いてみえるようになりこれまで味わったことのない充実した毎日を過ごすようになります。風の音、小鳥のさえずり、人々の話し声など身のまわりにおこるすべてのできごとに生きている喜びを感じます。
 最初は怒ってその状態に抵抗していたことから、病気を受け入れ、やがて積極的にむしろ生の意義を見出すようになる。こうしたおおまかには4段階の気持ちの変化がスムーズにゆくようにスピリチュアリティを支えることが緩和医療では大切なこととされます。

 こうした気持ちの変化はある程度「時間」で論じたことにも共通します。自分のおかれた年齢の状況を客観視すればするだけ、逃れられないものを感じます。
 しかしそれでも客観的にみることをやめられません。近代人の思考のくせみたいなものです。その客観的に見詰めた結果がたとえ苦しみのもとになろうとも、知ることをやめられません。そのデータに示される自分は先の短い年寄りであったり、不治の病に冒されて余命をはっきりと告げられている自分であったりします。鏡の向こうに見える客観化された自分は、ふだん自分として感じている自分とは似ても似つかぬ蒼ざめた顔をした存在です。あの生き生きした自分はどこへいってしまったのでしょうか。
 自分を冷静に客観視することを突き詰めてゆくとそういう自分に気付くことがあります。これが本来の自分であるとして引き受けるにはあまりにもつらいことです。
(次回に続く)



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